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五十五 河渡 旅座頭

版元:上総屋岩吉 年代:嘉永5(1852)年7月


Kn55  「座頭」とは、江戸期における盲人の階級「検校、別当、勾当、座頭」のそれです。ここから転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられています。江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」を基に障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとしました。たとえば、平曲、地歌三味線、箏曲、胡弓等の演奏家、作曲家、鍼灸、按摩、高利の金貸しなどが公認されました。

 国芳作品は、「座頭の河渡り」あるいは「盲人の川越え」と呼ばれる画題を宿場名「河渡」に掛けて描いています。当時は、ユーモラスな光景として理解されており、画中の洗濯する女性や魚捕りに遊ぶ子供達も日常のこととして感じているのでしょう。目が見えないので、作品四十五「落合」の久米仙人と晒女のような出会いには至りません。標題は、笠、筆、草鞋、道中脇差しなど、旅道具に囲まれています。

Kom55  江戸時代に和暦の月の大小や暦注などを文盲者にも理解出来るように絵や記号等で表現した暦があり、「座頭暦」と呼ばれ、月日はサイコロの目と星の数でを示しました。「絵暦」の一種と言えます。コマ絵の星形は、確実ではありませんが、その「座頭暦」に因んだ星型かもしれません。あるいは、単純に、目が見えないことを闇夜(の星)に例えているのかもしれません。英泉・広重版木曽街道の「河渡」は、『木曽路名所図会 巻之二』を参照し、題名も同じ「長柄川鵜飼舩」です。国芳の全体図の川が長良川を例えているならば、コマ絵と合わせると同じ風景となります。また、描かれた山に意味があるならば、伊吹山が見える地点でもあります。

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