五十八 埀井 猿之助
版元:八幡屋作次郎 年代:嘉永5(1852)年7月 彫師:多吉 「埀井 猿之助」とあり、子供が井戸に紐で括り付けられている絵をみると、これは、『繪本太閤記』からの逸話であることがわかります。『繪本太閤記』は、江戸時代中期に書かれた読本で、豊臣秀吉の生涯を描いた『川角太閤記』をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた全7編84冊の作品です。なお、幕府の禁令に触れ、文化元(1804)年に絶版を命ぜられています。このような作品を題材とするのが、国芳の真骨頂です。
『繪本太閤記』によれば、「日吉丸と号(なづ)けれど猿によく似たりとて人みな猿之助(さるのすけ)とよび習はせり」とあります。その後、尾張国長松の陶器屋(ちゃわんや)に奉公に出、主人の三歳の子供を抱き遊んでいた際、「かかる賤しき業をなし何日まで人に恥かしめられんや」とその子を井の元に連れて行って、井筒の枠に結びつけ、「やがて助る人有るべし暫く其所に辛抱せよ」と言って、三河路を目差して出ていってしまったとあります。作品は、まさに井筒の枠に子どもを結びつけている場面です。木の樽でできた井戸ということから、「樽の井」→「垂井」となっています。この後、日吉丸は、三河国矢矧橋で蜂須賀小六と出会い、天下への道を歩むこととなります。標題は、秀吉を象徴する千生瓢箪で囲まれています。
コマ絵は、同様に、瓢箪の意匠です。英泉・広重版木曽街道の「垂井」は、雨の「垂井」宿で、背景は関ヶ原、手前は南宮大社の大鳥居という位置関係が想像されます。コマ絵は、垂井宿から美濃の山々を眺望する図と思われます。『木曽路名所図会 巻之二』の図版「青墓里、長範物見松」に「たるい」が描かれ、参考にされたかもしれません。
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