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五十二 太田 藪医了竹 天川屋義平

版元:小松屋松五郎 年代:嘉永5(1852)年8月 彫師:(須川)千之助 大久


Kn52  藪医了竹と天川屋義平が登場するのは、『仮名手本忠臣蔵』の十段目です(『カブキ101物語』160以下参照)。「鴻巣」(十一段目)、「大井」(五段目)に続きます。「藪医了竹」は、斧定九郎の父九太夫の家来で、敵方スパイです。名を太田了竹ということから、「太田」の宿に当てられています。「天川屋義平」は泉州堺の商人で、大星由良助一党の武器をひそかに鎌倉へ回送する仕事を請け負い、また、秘密を守るために、使用人を解雇し、女房おそのも実家に返しています。了竹は、娘おそのが帰されたのを機会に、義平に去り状を書かせ、金持ちに再婚させようと企んでいます。国芳の作品は、義平がいよいよ去り状を書き、居座っている了竹に「去り状をやったら赤の他人。おとといごんせ。」と言って、摘み出す場面を描いています。義平の言葉としては、義士達の武具を入れた櫃(長持)に座って「天川屋義平は男でござるぞ。」と言った方が有名ですが、ここは、宿場名の「太田」に引きずられました。

 標題の周りは、人形、風車、やじろうべえ、達磨など子供の玩具で囲まれています。これは、母を慕って泣く一子由松をあやすために丁稚伊吾が使ったものです。

Kom52  コマ絵の意匠は、義平が座って先ほどの啖呵を切った櫃に因んでいます。英泉・広重版木曽街道の「太田」は、宿場側から太田の渡しを眺める風景です。これは、広重の江戸へ向かっての旅とその実景描写に従っています。国芳のコマ絵の風景には木曽川が描かれていないのですが、全体図の堺湊を木曽川に見立てていると考えれば、やはり同じ風景と推測されます。

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