四十九 細久手 堀越大領
版元:八幡屋作次郎 年代:嘉永5(1852)年7月 彫師:多吉 「堀越大領」は、嘉永4(1851)年8月江戸中村座初演の『東山桜荘子』(ひがしやまさくらそうし)に登場する、悪政を行う大領のことです。元になった講釈の『佐倉義民伝』では「堀田正信」と呼ばれ、歌舞伎では、「織越大領」とされています。その内容は、農民を扱った異色のもので、下総佐倉の織越大領の悪政に対して、名主・浅倉当吾(佐倉宗五郎)が将軍足利義政(徳川家綱)に直訴したところ、当吾夫婦は捕らえられ拷問に逢い、三人の子も斬殺されてしまいます。それ故、当吾が怨霊となって織越に祟るという怪異譚へと進みます。
国芳の作品では、病鉢巻をしているのが織越大領です。その背後の屏風には、三つの髑髏と磔にされた人物が浮かび上がっています。また、手前右には、透明化された人物が座っていますが、これが当吾の怨霊と思われます。蒲団の端から細長く手が伸びて、織越をいたぶっています。この「細長く手」が伸びるから、「細久手」となります。標題は、この怨霊の場面を象徴する、手燭、刀、水桶、枕、団扇などで囲まれています。
コマ絵の形は、『東山桜荘子』の「堀越大領」ということで、桜を意匠するものです。大領の着物の紋様と同じです。この桜は、もちろん、下総佐倉を暗喩するものです。そこに描かれる風景ですが、英泉・広重版木曽街道の「細久手」は、宿場手前の入口門のように見える女男松と思われます。これに対して、国芳作品のコマ絵は、同じ場所を遠くから俯瞰するようにも見えるのですが、いささかか情景が異なっています。この辺りの一番の名所は『木曽路名所図会 巻之二』によれば「琵琶峠」で、掲載される図版を参照すると共通する風景とも考えられます。ここからは、御嶽、白山、伊吹山が眺望できました。
なお、作品四十八と四十九の二枚で組みとなって、怪奇譚仕立てとなっています。因果応報、怨霊信仰の世界が前提です。
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