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四十六 中津川 堀部の妻 同娘

版元:八幡屋作次郎 年代:嘉永5(1852)年8月 彫師:多吉


Kn46 「堀部」というのは、赤穂藩士「堀部弥兵衛」のことで、後に、吉良邸に討ち入る四十七士の一人です。作品四十四の「馬籠 竹林定七」と同じく、『義士銘々伝』より、「決闘高田馬場、中山安兵衛は助太刀に走る」という講談種から、堀部ほりがこの決闘を見ていて安兵衛にしごきを貸し、将来の結婚相手と運命的な出会いがあったという逸話を画題として、「堀部の妻」と「同娘」とが見守る緊迫した状況を描いています。標題の周りは、決闘を暗示する刀と娘が安兵衛に貸したしごき代わりの腰ひもで囲まれています。

 高田馬場の決闘とは、元禄7(1694)年2月11日 、甥叔父の義理を結んでいた菅野六郎左衛門が高田馬場で果し合いをすることになり、中山安兵衛(武庸)がその助太刀を買って出て、相手方三人を斬り倒した実際の事件です。その活躍は「十八人斬り」として江戸で評判になり、その剣術の腕と、上述した運命的な出会いとから、安兵衛は堀部弥兵衛の養子になります。その後、赤穂事件に遭遇し、江戸急進派勢力のリーダー格となり、弥兵衛と同じく四十七士の一人として討ち入りに参加します。高田馬場の決闘の際、敵を助太刀する武芸者「中津川祐見」を斬り倒したことから、「中津川」に当てられているようです。

Kom46  コマ絵の形は、泥よけ用の馬具である障泥(あおり)をかたどっています。これは、決闘(出会い)の場所「高田馬場」に引っかけたのではないでしょうか。英泉・広重版木曽街道の「中津川」には作品が二種類あり、国芳作品のコマ絵は、その一つ「雨の中津川」が描く恵那山を背景とする駒場辺りからの風景を選んだと考えられます。なお、コマ絵の中には馬が描かれ、コマ絵の場所も駒場、全体図も高田馬場といった具合で、馬繋がりとなっています。

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