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五十九 関ヶ原 放駒蝶吉 濡髪蝶五郎

版元:井筒屋庄吉 年代:嘉永5(1852)年9月 彫師:彫巳の


Kn59  「放駒蝶(長)吉 濡髪蝶(長)五郎」とくれば、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目『双蝶々曲輪日記』(ふたつちょうちょうくるわにっき)の登場人物であることが判ります。寛延2(1749)年7月に大坂竹本座で初演され、翌8月に京都嵐三右衛門座で歌舞伎として初演されました。作者は竹田出雲、三好松洛、並木千柳。全九段のうち、有名なのは二段目「角力場」(すもうば)と八段目「引窓」(ひきまど)で、歌舞伎でもしばしば上演されています(『カブキ101物語』190頁)。概要は、大坂名代の力士濡髪長五郎が恩人の子山崎与五郎とその恋人の吾妻(あづま)のために奔走する話です。これに米屋の息子の力士放駒長吉とその姉おせき、山崎の家来筋の南与兵衛とその愛人遊女都(女房お早)などが絡む筋立てです。

 国芳の本作品が、長五郎と長吉(いわば、二つの蝶々)が土俵の外で対立する場面を描いているとするならば、四段目の「米屋」の場面に当たります。すなわち、吾妻の一件の決着をつけようとやって来た長五郎と長吉とが喧嘩となるのですが、喧嘩っ早い長吉を何とかしようと一計を案じた姉の思いから、長五郎と長吉とは義兄弟の盃を交わすまでになります。したがって、その前段の喧嘩の場面と見るのが普通でしょう。そして、関取がそれぞれ腹を見せ合うということから、「関(取)の腹」→「関ヶ原」と洒落たと考えられます。標題の周りを飾るのは、軍配、御幣、化粧舞わしなど角力に係わる道具です。

 ところが、作品背景には多くの人々が二階や屋根に上がったりして、遠くを見やっている情景が描かれています。遠くに火の手が上がっているのではないでしょうか。また、手前の長五郎が手にするのは、火消し梯子では?また、夜空に輝くのは、星ではなくて、火の粉では?とすると、文化2(1805)年、江戸の芝神明の境内で相撲取りと火消し(鳶)との間で喧嘩があった、いわゆる『めぐみの喧嘩』(『カブキ101物語』204頁)を翻案しているとも考えられます。長五郎と長吉、あるいは相撲取りと火消し、いずれにしても喧嘩を画題としているのは、「関ヶ原」が天下分け目の戦があった合戦場だからです。その上で、作品が何か火事場の雰囲気になっているのは、大坂夏の陣での大坂城炎上を暗示しているようにも感じられます。ちなみに、『双蝶々曲輪日記』の舞台は大坂です。このように推理するのには、理由があって、先の「埀井」が豊臣秀吉の天下取りを主題にする『絵本太閤記』から画題を採っていることがあります。両作品を一対と考えるならば、「関ヶ原」もやはり豊臣家に係わる事案を題材としていると推理しうるのであって、「埀井」での井戸は水、そして豊臣の天下への出発点、「関ヶ原」での火事場(の喧嘩)は火、そして豊臣の天下の終焉をそれぞれ寓意すると読みとることができるのです。

Kom59  コマ絵の形は、四神相応の土俵場の意匠ですが、(大坂)城のように見える工夫もあるのではないでしょうか!英泉・広重版木曽街道の「関ヶ原」は牧歌的な宿場風景です。コマ絵の情景は、山近くを旅人が歩いている様子で、おそらく宿場西方の不破の関(古蹟)辺りからの風景でしょう。

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