六十五 髙宮 神谷伊右衛門
版元:小林屋松五郎(文正堂) 年代:嘉永5(1852)年8月 彫師:須川千之助・大久 釣りをする「神谷伊右衛門」、通例は田宮(民谷)伊右衛門と来れば、『東海道四谷怪談』三幕目の「深川隠亡堀(おんぼうぼり)」がすぐに思い出されることと思います。作品二十一の「追分」での事件に引き続いて、帰宅した伊右衛門は按摩の宅悦に殺害されたお岩と折檻し殺害した小仏小平とを戸板の裏表に打ち付け、不義密通の罪を被せ、川に流します。そして、件の釣りの場面となります。日が暮れ帰りかける伊右衛門の前に戸板が流れつきます。引き上げると、お岩の死骸が形相凄く呪うので、突き放すと裏返って、今度は小平の死骸になるという緊迫の名場面です。国芳には、時々見られる手法ですが、まさに戸板返し直前を本作品で描いています。宿場名「高宮」との関連は、「(た)かみや」→「神谷」伊右衛門と繋げているのでしょう。なお、作品中の遠景の小さな人物は、お岩の妹お袖の形式的な夫で実の兄である、直助(鰻曳き)権兵衛かもしれません。標題の周りは、伊右衛門の釣り道具で囲まれています。
コマ絵の意匠については、一体として見ればジャバラ折にされた文のようにも見えるのですが、折れ線の山の部分に補助線を入れれば、四本の矢羽根が浮かび上がってきます。すなわち、国芳の全体図が『東海道四谷怪談』から画題を選んでいたことに因んで、「四つの矢」→「四谷」という地口をコマ絵のデザインにしているのです(作品二十四参照)!もともと、塩冶(浅野)家の家紋は、丸に違い鷹の羽ですので、その羽組を壊して、不忠の伊右衛門を象徴させるという意図です。
英泉・広重版木曽街道の「高宮」は、犬上川の仮橋とその向こうにある宿場の風景を南(京)側から描いています。コマ絵の風景も、おそらく、同じ地点から宿場を眺めているように思われます。英泉・広重版が、松の木を額縁のように使ったのとは異なって、一本の大木越しに描いていますが…。
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