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四十五 落合 久米仙人 晒女

版元:林屋庄五郎 年代:嘉永5(1852)年6月 彫師:彫竹


Kn45  「久米仙人」とは、久米寺の縁起に登場する伝説上の仙人です。『今昔物語』巻十一によれば、大和国吉野郡(奈良県吉野郡)の竜門寺で安曇と共に仙術を修業し、久米は安曇に続いて飛行の術を得て自在に空を飛ぶに至りました。吉野川の上空を飛んでいた時、川で洗濯をしていた女の白い脛(はぎ)を見て神通力を失い、墜落してしまいます。通例は、ここまでの紹介が多いのですが、その後、この女を妻として俗人として暮らします。ところが、高市の新都造営の際、素性を監督官に知られ、材木を飛ばして運ぶように命じられます。道場に籠もって食を断ち、七日七晩祈り続けると、八日目の朝に山から材木が工事現場に飛んできました。これを聞いた天皇は久米に田30町を与え、そこに建てたのが久米寺(奈良県橿原市)であると言います。

 久米仙人と洗濯女は、古くから浮世絵の画題となっているもので、国芳は、洗濯女を「晒女」とはしていますが、基本的に何も変わってはいません。前掲番付目録『これが江戸錦繪合』では、「関脇 見立名画 大極上々吉」とあって、版元もその出来に自信を持っていたことが判ります。「白い脛」どころか、胸まで見せるサービスで、シリーズ全体としても、佳境に位置する作品です。久米仙人の仙人らしからぬ表情と晒女とが好対照です。「仙人が落ちて晒女と会う」→「落ち会う」→「落合」となります。標題は、川辺の柳に、晒した布に光沢を付ける砧打ちの道具と布で囲まれています。なお、作品番号四十四は、四十五の誤りです。

Kom45  コマ絵は、晒女の足下に転がっている洗濯板(盥)に晒す布が積まれたところを意匠しています。落下した久米仙人ゆかりの品となります。英泉・広重版木曽街道の「落合」は、落合橋に至る坂道を描いていますが、国芳のコマ絵も、『木曽路名所図会』巻之三を出すまでもなく、ほぼ同じ場所を描いていると思われます。

 本作品「落合」の久米仙人と晒女は、その4年後、浅草奥山で興行された松本喜三郎の活人形への影響が推測されます。そして、その活人形の大盛況を受けて再び浮世絵が制作されるという相互関係があったようです(河治和香『国芳一門浮世絵草紙5 命毛』139頁参照)。また、同様に、安政2(1855)年、浅草観音の開帳があり、国芳が新吉原の妓楼岡本屋の主人の依頼で、「一ツ家」大絵馬(228.2㎝×372.0㎝)を浅草寺に奉納し、扁額堂に飾られると江戸中の評判となったことを受けて、浅草奥山でもその活人形が作られています(前掲書145頁)。作品については、後述作品四十八「大久手 一ツ家老婆」参照。

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