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廾八 長窪 お七 吉三

版元:辻屋安兵衛 年代:嘉永5(1852)年9月 彫師:彫庄治


Kn28  人形浄瑠璃、歌舞伎に、『お七吉三物』(おしちきちさもの)、あるいは『八百屋お七物』と呼ばれる一系統があります。天和3(1683)年の春に放火の罪で火刑に処せられた江戸本郷の八百屋の娘お七を題材にした作品の総称です。火事になれば、寺小姓吉三郎に会えるという恋のために無分別へと走る町娘の純情さに焦点が合わされたもので、井原西鶴の小説『好色五人女』(貞享3・1686年)などを通して一般に流布し、宝永3(1706)年1月大坂嵐三右衛門座『お七歌祭文』で歌舞伎狂言化されています( 『カブキ101物語』206頁参照)。

 国芳作品は、お七が「松竹梅」の掛額を湯島天神に奉納した場面を絵にしています。この掛額にお七の本当の年齢が記されていたことから、当時16歳での刑事責任を免れず、鈴が森にて火炙りの刑を受けることとなるのです。標題の周りも、この松竹梅で飾られています。ところで、「長窪」と「お七」との関係はどこにあるのでしょうか。帯の結び方に、「お七結び」というものがあります。江戸時代の商家の娘などが結んだ帯結びで、特徴は、帯枕なしで、帯を長く垂らした様式です。国芳作品のお七を見ると、帯が長く垂れています。ここを取って、「長く垂れた帯」→「長くお(び)」→「長窪」ということでしょうか。あるいは、「ながくぼ」→「なな(くぼ)」→「七」→「お七」という、いずれにしても、かなり強引な地口かもしれません。

Kom28  コマ絵は、湯島天神の扁額をそのまま利用した形式になっていますが、その扁額は団扇のような形に見えます。この形が、「お七髷」とも言われた、江戸時代の町方娘の髪型桃割れ、桃の意匠であったら、さらに面白いのですけれど…。そこに描かれた風景は、英泉・広重版木曽街道の「長久保」が明月と橋を渡る旅人の情景としていましたが、当コマ絵では、橋を渡って街道から、長久保を特徴づける中山方向を描いたものと考えられます。

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