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国芳の木曾街道六十九次之内

 「浮世絵のことは浮世絵に聞くのが一番だ」という思いで、「浮世絵に聞く」と銘打ってブログを展開していますが、この度は、歌川国芳の『木曾街道六十九次之内』(国芳の木曽街道と略します。)を題材にしたいと思います。世間の国芳ブームにあやかってということです。

 国芳の木曽街道は、ある程度知られていることですが、渓斎英泉・歌川広重の『木曾街道六拾九次』(英泉・広重版木曽街道と略します。)を受けて企画されています。この英泉・広重版木曽街道は、天保6(1835)年の春頃から制作版行され、3分の2の50図が出た時点で一時中断された後、最終的には、天保13年までには完結していたと考えられています。一方、国芳の木曽街道は、嘉永5(1852)年から翌6(1853)年にかけて版行されていて、作品数71点に目録1枚が加えられた揃物として成立しています。特徴の一つは、木曽街道の宿場風景をコマ絵の中に展開しているところです。

 国芳の木曽街道は、また、歌川(三代)豊国の『東海道五十三次の内』(『役者東海道』と略します。)と対をなすものとして構想されており、共に出版は嘉永5年閏2月から始まります。全体の仕事割りは、三代豊国の役者東海道が先行し、そのシリーズの完成に目途のついた頃から、国芳の木曽街道の版行がなされたと考えられています。

 ところで、三代豊国には、嘉永5(1852)年10月から12月の間にかけて制作された『木曾六十九驛』(『役者木曽街道』と略します。)という揃物があります。国芳作品の版行が半ばする頃からの制作なのですが、皮肉なことに、国芳の木曽街道を差し置いて、役者東海道と一対の揃物という位置づけを奪ってしまっています。これは、役者の半身像を入れる三代豊国の企画の方が国芳の稗史表現よりも大いに当たったということでしょう。役者木曽街道については、別の機会に解説を加えたいと考えています。一言触れるならば、役者木曽街道は国芳の木曽街道のコマ絵を自身の作品の背景に流用していると推測されます。

 国芳の木曽街道の解説は、従来、その作品全体の稗史や地口などを紐解くことに中心が置かれていますが、当ブログでは、コマ絵に描かれる木曽街道の宿場風景にも比重をかけて見ていく予定です。このような方法を採って、ともすれば木曽街道の宿場案内から離れてしまう、国芳作品の欠点を補足していこうと思います。コマ絵という小スペースではありますが、英泉・広重版木曽街道を別にして、木曽街道全体を描いた数少ないシリーズであることは間違いありません。つまり、英泉・広重版木曽街道の理解を助けるものとして、意外に深い意義があるのです。

 ちなみに、国芳の木曽街道の一般的解説資料として、平木浮世絵美術館『歌川国芳 木曽街道六十九次』(2010)、および中山道広重美術館『武者絵でたどる木曽街道』(2002)を挙げておきます。引用に際しては、「平木浮世絵美術館資料」および「中山道広重美術館資料」と略称させていただきます。以上の両資料を越えて、「コマ絵で綴る木曽街道」というような形でオリジナルな展開できれば、当ブログの読み解きも成功したと言えるのですが…。


*以下のブログでは、コマ絵に関する浮世絵画像を適時掲載し、閲覧の便宜を図る予定です。また、全体図については、中山道広重美術館・所蔵庫の画像を掲載させていただき、浮世絵解説の補足とさせていただきます。全体図の詳細については、文化遺産オンライン:文化遺産データベース(歌川国芳 木曽街道六十九次)を参照して下されば、さらに画質の良い作品を見ることができます。

*英泉・広重版木曽街道および国芳の木曽街道の制作に際して元資料として利用されたと思われる、江戸時代の図会として、以下の著作を紹介します。

 ◎秋里籬島『木曽路名所圖會』全六巻(1805):『木曽路名所図会』として引用。

*浮世絵の解説をするうえで、(人形)浄瑠璃や歌舞伎の内容に立ち入る必要がしばしばあります。その際には、ブログの流れを阻害しないために概要を掲載するにとどめ、詳しくは、以下の解説書に委ねる方針ですので、ご了解下さるようお願いいたします。

 ◎渡辺保編『カブキ101物語』(1993・新書館):『カブキ101物語』として引用。

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