卅一 塩尻 髙木虎之介
版元:井筒屋庄吉 年代:嘉永5(1852)年8月 彫師:彫巳の 「高木虎之助」は、天保2(1831)年の合巻、五柳亭徳升『矢猛心兵交』(やたけごころつわもののまじわり)の主人公で、日向国(宮崎県)延岡の出身、諸国武者修行をする武芸者と言います。詳細は不明ですが、合巻では国芳が絵を担当していたので、その作品からの転用と思われます。本作品以前にも、「河虎」(かっぱ)を捕らえる『多嘉木虎之助』の浮世絵作品があります。また、弟子の月岡芳年が明治19年(1886)に版行した『美勇水滸伝 高木虎之助忠勝』では、「山女」を退治しています。
本図の虎之助の武勇は、国芳『宮本武蔵が背美鯨をさしとおす』という大判三枚続作品の武蔵から拝借したものではないかと感じられます。鯨の汐吹きを眺める虎之助には、湖畔から諏訪湖を眺める様子が重ねられているように思われます。なお、「汐が飛び散る」→「汐散る」→「塩尻」です。前作品「下諏訪」も、当作品「塩尻」も全体図が諏訪湖を黙示的に描いているので、両方のコマ絵内には諏訪湖が描かれていないのだと考えられます。標題の周りは、漁網、船の櫂、銛など鯨の捕獲道具で囲まれています。
不思議な形をしたコマ絵は、虎之助の鯨退治との関連から、鯨の全体図と判断しますが、いかがでしょうか?縦の縮尺を伸ばすと普通の鯨に戻ります。奇抜なアイデアです。コマ絵の風景は、英泉・広重版木曽街道の「塩尻」が「諏訪湖ノ湖水眺望」としていたことを参考にすると、上りの塩尻峠とそこから遠望される八ヶ岳でしょう。
| 固定リンク
「木曽街道六十九次」カテゴリの記事
- 木曾街道六十九驛 目録(2013.06.29)
- (七十一) 京都 鵺大尾(2013.06.10)
- 七十 大津 小万(2013.05.30)
- 六十九 草津 冠者義髙(2013.05.29)
- 六十八 守山 達磨大師(2013.05.27)
コメント