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九 熊ヶ谷 小次郎直家

版元:八幡屋作次郎 年代:嘉永5(1852)年5月 彫師:多吉


Kn09  『平家物語 巻之九』「一二の駈けの事」に、寿永3(1184)年の一の谷合戦の際、熊谷次郎直実、小次郎直家親子と平山季重とが先陣争いをした記述があり、夜明け前の西木戸の城での出来事とされています。白月毛の馬に乗る「小次郎直家」の背後に城の石垣が描かれ、その後ろに波打ち際があることから、この場面を国芳が画題としたことが判ります。「熊ヶ谷」は熊谷一族ゆかりの地ですから、浄瑠璃・歌舞伎『一谷嫩軍記』などにも登場する直実、直家親子を描くことは納得できます。しかし、国芳は、よく知られている直実の話を敢えて避けて、子の直家の方を採り上げました。国芳の木曽街道は全シリーズを通して、周知の人物や事件を意識的に避けることがあり、本件もその事例です。標題は、したがって、直家の武具で囲まれていると考えられます。

Kom09  コマ絵が扇形をしていることについて、直実がわが子直家と同じ年の無官太夫平敦盛を扇で招き寄せたことに因んでと説明されることが多いのですが(平木浮世絵美術館資料)、『一谷嫩軍記』によれば、扇で招き寄せられたのは敦盛と入れ替わった直家自身という設定ですから(『カブキ101物語』24頁・「陣前の場」参照)、扇は直家に直接因縁するものとなります。つまり、扇型のコマ絵は、初陣姿の直家が扇によって絶命することを暗示する、国芳の苦心の工夫と評価すべきです。

 扇の中に描かれる風景は、英泉・広重版木曽街道の「熊谷 八丁堤ノ景」と対照すると、荒川左岸の土手「熊谷堤」を進む駕籠かきの姿であることが判ります。英泉・広重版の前景の人物表現をカットした構図です。

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