十九 軽井澤 鎌田又八
版元:高田屋竹蔵 年代:嘉永5(1852)年7月 鎌田又八は伊勢松坂の出身で、無双の怪力の人物。伊勢鈴鹿に棲む大猫を退治したなどの伝説があります。国芳作品は、文化4年刊の合巻『於六櫛木曽仇討』(山東京伝作・歌川豊国画)の口絵が元になっていて、そこには浅草観音堂の西の柱に又八の指の跡があるとの話が記されています。国芳作品には、又八の怪力によって柱が揺れ、それに驚いた鳩が飛び逃げていく様が描かれています。怪力の又八にとっては、観音堂の柱を揺らすことなど「軽いわざ」→「軽井澤」とでも言うのでしょうか。標題は、寺にちなんで、卍や輪宝で囲まれています。
コマ絵の枠は、観音堂内にも置かれている香炉の形です。描かれるのは、英泉・広重版木曽街道の「軽井澤」の夜景を昼間に仕立て直したものと思われます。
なお、先の「坂本」と「軽井澤」とを一体的に鑑賞すると、吉原の見返り柳と浅草の観音堂という江戸っ子にはお馴染みの情景がともに利用されていて、これは明らかに意識的な題材選択と考えられます。つまり、国芳の木曽街道は、多くの場合、見開き一対の作品として、主題や情景などが意図的に関連付けられているということを意味します。ちなみに、江戸で於六櫛が有名になったのは、山東京伝の先の合巻のヒットによるものです(後述作品三十五参照)。合巻や浮世絵などが宣伝広告の役割を果たした好例です。
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