廾五 八幡 近江小藤太 八幡三郎
版元:林屋庄五郎 年代:嘉永5(1852)年6月 当作品を見ると、二人の武将が谷間を進む一行を狙っていますが、これが後の曽我兄弟の仇討ちへと至る発端となった出来事です。すなわち、工藤祐経の家臣、「近江小藤太」と「八幡三郎」が牧狩りに乗じて、所領を横領した工藤祐親を弓矢で射ったところ、誤って、その婿で、曽我兄弟の父親、河津三郎祐泰を射殺してしまったというものです。祐泰の遺児は、その妻が曽我裕信に再嫁したことから、元服して、曽我十郎、五郎と名乗ります。
祐泰が落命したとき、山めぐりの村時雨が降っていたということで、背後に虹が見える雨模様の天気として描かれています。画中の虹は、後の、お目出度い曽我の仇討ちの前祝いというのは考えすぎでしょうか(後述作品六十参照)。宿場名「八幡」から「八幡三郎」を連想し、仇討ちの発端となった事件を画題としました。標題の周りは、牧狩り装束や道具で囲まれています。
コマ絵の形は、小藤太、三郎の主、工藤家の「庵木瓜」(いおりもっこう)です。中の風景は、英泉・広重版木曽街道の「八幡」作品の背景と同様と思われます。やはり、流れ山もしくは浅間山外輪山が見えます。『木曽路名所図会』巻之四の図版「望月駅」に描かれる「八幡宿」とよく似ています。
作品の「廾四 塩名田」と「廾五 八幡」は、見開きの一対となっていて、ともに雨模様であることに気付きます。もちろん、これは、意図的なもので、多賀大領および河津三郎祐泰の暗殺事件を象徴するものです。浮世絵における雨は、歌舞伎などの演出効果の影響を受けて、実際に雨であったかどうかは別として、事件や事故などによる死を暗示・装飾するものとして使われることが多いということに注意が必要です。
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