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四 浦和 魚屋團七

版元:住吉屋政五郎 年代:嘉永5(1852)年5月 彫師:須川千之助


Kn04  「魚屋團七(九郎兵衛)」とくれば、人形浄瑠璃、歌舞伎『夏祭浪花鑑』の主人公です。大坂の長町裏で実際に起こった事件を脚色した作品で、画中に「天王御祭禮」の幟が立っているように、(高津神社の)夏祭り宵宮でのことです。團七は舅の義平次と言い争いになって、暗闇の中泥まみれになりながら、心ならずも義平次を殺害し、井戸の水を浴びて泥と血とを洗い流します。その際の赤い褌と青い刺青の対比が鮮やかで国芳作品もそこに狙いを付けています。この刺青は文政の頃、三代目中村歌右衛門が痩せた体躯を補うために考案した演出で(『カブキ101物語』175頁)、その後も派手好きの江戸っ子には大受けとなって踏襲されていきます。この舅殺しのあるのが「長町裏」の場であるので、「裏場」→「浦和」と繋がっているようです。ここにきて、宿場名「浦和」とは全く無関係な題材選択となりました。團七の背後に脱ぎ捨てられた着物の柄は、「團七縞」と呼ばれるもので、人形浄瑠璃初演以来の様式です。標題の周りは、蛸、鰈、鰻、鰒などで囲まれ、魚屋であった團七に因んだものです。

Kom04  コマ絵は、やはり團七に因み、「團七縞」で囲まれています。そこに描かれる風景は、英泉・広重版木曽街道の「浦和」とは異なっています。そこで、ここでも一つ飛ばして、英泉・広重版木曽街道の「大宮 冨士遠景」と比較してみると、英泉・広重版に描かれる庚申塚は浦和から大宮に行く途中の「針谷庚申塚」と考えられ、右手旅人達が歩む街道は「六国見」峠に至る道と判断されます。『木曽路名所図会』巻之四には、大宮原の六国見の中ほどに立場茶屋があり、峠では、富士、浅間、甲斐、武蔵、下野、日光、上州等々が鮮やかに見えると記述されています。つまり、国芳のコマ絵は、その風光明媚な場所を拡大したもので、英泉・広重版の「大宮」とは印象ほどの相違はないのではと思われます。したがって、コマ絵の中の旅人達の視線の先には、英泉・広重版にある「冨士遠景」が映っているはずです。

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