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一 日本橋 足利頼兼 鳴神勝之助 浮世渡平

版元:辻岡屋文助 年代:嘉永5(1852)年5月


Kn01  歌舞伎・浄瑠璃の一系統に『伊達騒動物』と呼ばれる領域があります。たとえば、『伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)、『伊達競阿国戯場』(だてくらべおくにかぶき)などがよく知られています。話の核は、仙台三代藩主伊達綱宗が、吉原通いなどを理由に隠居に追い込まれるという、お家乗取り譚です。その綱宗に見立てられた人物が、「足利頼兼」です。綱宗が身請けを断られた吉原の遊女高尾太夫を手打ちした事件が背景にあって、廓帰りのある日、江戸日本橋に読み替えられる鎌倉花水橋で「浮世渡平」に襲われるのですが、忠義な相撲取りの絹川谷蔵(国芳作品では「鳴神勝之助」)によって救われるというものです。

 まさに、国芳作品は、この場面を画題としています。擬宝珠のある日本橋の背後には、富士山、千代田城というこの地のランドマークが描かれ、威勢の良い河岸の男の代わりに渡平に喧嘩を売らせているのかもしれません。木曽街道の出発点「日本橋」に、日本橋の情景という自然な作品構成ですが、実は、このような対応は例外的なものなのです。それは、次回以降のブログの解説によって明らかになっていくと思います。なお、標題の周りが小判で囲まれているのは、綱宗が高尾を身請けする際に積んだ小判に因んでです。

Kom01  さて、コマ絵の形が単純な長方形でないことに気付きましたか?これには理由があって、伊達騒動物の一場面を扱った全体図に挿入されたコマ絵であることからすれば、その枠の形は、おそらく、作品(主人公)ゆかりのものと考えるべきです。標題が小判で囲まれていることから推理して、頼兼に見たてられた綱宗が高尾太夫を身請けする際にその小判を入れた「千両箱」のシルエットと見るべきでしょう。情景描写に関しては、英泉・広重版木曽街道の「日本橋 雪之曙」は、橋の北側部分を東に向いて描いていますが、国芳のコマ絵は日本橋の南側を西に向いて描いています。橋の袂にあった高札場が描かれ、天秤棒を担ぐ河岸の男達や庶民が見えています。何より目を惹くのは槍持ち姿で、北に向かう大名行列を暗示しています。日本橋を大名行列で飾る思考は、広重の保永堂版東海道五十三次と同じです。

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