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卅五 奈良井 おろく 善吉

版元:湊屋小兵衛 年代:嘉永5(1852)年5月


Kn35  「十九 輕井澤」で引用した、山東京伝の合巻『於六櫛木曽仇討』(文化4・1807年)によって、お六(櫛)は江戸に紹介されましたが、この「おろく(お六)」と蚕屋「善吉」夫婦を中心に据えたのが、曲亭馬琴の合巻『青砥藤綱模稜案』(あおとふじつなもりょうあん)(文化8-9・1811-12年)の後集(前後二つの集に別れていた本)です。絵は北斎が担当し、日本や中国の裁判記録を題材に、青砥藤綱が名裁判で事件を解決する形式です。その後、弘化4(1846)年7月市村座『青砥稿』(あおとぞうし)として歌舞伎で演じられています。

 善吉は旅先の木曽路の宿場で知り合ったお六を妻として、木曽路で土産物屋を開いていたところ、善吉の別れた前妻の密通相手(故郷の村長)に冤罪を着せられます。しかし、お六が訴え出て、青砥藤綱が事件の裁きに乗り出して善吉夫婦を救います。国芳作品は、名物「お六くし」の店で出会った、善吉とお六を描いていますが、これは、お六櫛が「奈良井」周辺で名産であったことに因んでいます。『木曽路名所図会』巻之三には、宮腰、薮原、奈良井等に店が多いと記されています。標題を囲むのは、善吉の旅装束と旅道具です。

Kom35  コマ絵は、もちろん、櫛の形を模し、中に描かれるのは、木曽の山々を従える御嶽山の眺望です。英泉・広重版木曽街道の「奈良井」が画題として土産物屋を描く趣旨ならば、その場所は峠より手前の宿場ないしは下の茶屋と解した方が自然で、そこにイメージとして御嶽山が加えられたのでしょう。これは、国芳がコマ絵に御嶽山の眺望を描いたのと同じ思考です。つまり、両作品の構成意図は、ともに同じと考えられます。

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