十八 坂本 五条坂
版元:湊屋小兵衛 年代:嘉永5(1852)年9月 宿場名と人物名との組み合わせが原則の本シリーズ中、唯一、宿場名と地名の組み合わせになっていますが、「五条坂(の景清)」という意味だと思われます。つまり、平家の残党悪七兵衛景清ではなくて(後述作品五十番)、歌舞伎の所作事(舞踊)としての景清ですよという注意喚起と考えられます。天保10(1839)年3月、江戸中村座、中村歌右衛門の『花翫暦色所八景』(はなごよみいろのしょわけ)が初演です。丹前風の景清が蛇の目傘を持って、文使いの禿に頼んで京清水寺近くの五条坂の遊女阿古屋と馴れ染める所作の場面があり、国芳作品は、まさにそこを描いています(阿古屋については、『カブキ101物語』12頁参照)。ただし、一工夫があって、背景は、日本堤から吉原大門に続く衣紋坂の入り口にあった見返り柳に変えられています。江戸庶民には馴染みの風景です。したがって、ここが五条(衣紋)「坂の本」であることがよく判ったことでしょう。標題は、景清の衣装や脇差しなどで囲まれています。
コマ絵の形は、景清の着物の模様ともなっている薊(あざみ)の花です。描かれる風景は、英泉・広重版木曽街道の「坂本」が刎石山と坂本宿を画題としているのに対して、さらにその先の碓氷峠越を『木曽路名所図会 巻之四』「碓日峠 熊野社」の図版を参照して描いているように思われます。
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