十 深谷 百合若大臣
版元:加賀屋安兵衛 年代:嘉永5(1852)年5月 百合若大臣(ゆりわかだいじん・おとど)は、日本各地に伝わる百合若という名の武者にまつわる復讐譚で、幸若舞、浄瑠璃、歌舞伎などの作品にも昇華されています。概略は、以下のとおりです。すなわち、日本へ押し寄せてきた蒙古の大軍討伐を命じられた百合若は、大陸へ渡り、勝利を得るのですが、信頼している部下に裏切られ島に置き去りにされます。その後、困難を乗り越えながら帰国し、正体を隠して裏切った部下に仕え、やがて競射の日、得意の弓術を披露する機会を得、自分を裏切った部下を射抜き復讐を果たすというものです。画題は、山を射抜くほどの強弓の百合若が大音響を轟かせ大弓を引く場面で、地が波のように沸き上がっています。ちなみに、『木曽路名所図会 巻之四』に「百合若大臣射貫巖(いぬきいわ)」という図版が掲載されています。標題は、百合若に因んで、百合の花で囲まれています。
コマ絵は、弓の弦仕立てです。山を「深」く射抜くほどの「矢」の使い手ということで、「深谷」に掛けてあります。描かれるコマ絵の風景は、英泉・広重版木曽街道の「深谷」が宿場の飯盛女を華やかに捉えていることを考えると、旅人と遊女とが別れを惜しんだ宿外れの「見返りの松」としたいところです。しかし、コマ絵には丘の上に祠が描かれているところを勘案すると、一の谷の合戦で平忠度を討ち取った岡部六弥太の墓(普済寺)の可能性があります。名所紹介の趣向です。
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