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十二 新町 獄門庄兵衛 黒舩忠右ェ門

版元:伊勢屋兼吉 年代:嘉永5(1852)年6月


Kn12  国芳は、「新町」という宿場名から、大坂新町橋を連想し、そこを舞台とする『黒船忠右ェ門物』と呼ばれる浄瑠璃、歌舞伎の一系統を題材にしました。「獄門庄兵衛」と「黒舩忠右ェ門」の両名による、義理人情からの談判を意味する「立引」(たてひき)が画題です。歌舞伎では、初代姉川新四郎が、享保3(1781)年、大坂嵐座『黒船出入湊』で自作自演したのが始まりと言われています。黒船役の新四郎が被った投げ頭巾は、姉川頭巾と呼ばれ、後世にも伝えられ、国芳もその姿に従って描いています。当該作品も役者絵がベースになっているということです。忠右ェ門の衣装は黒地に菊花と浪の文様をあしらい、庄兵衛は碁盤に黒白の石を散らし、共に意地を張り合った豪奢な姿です。標題は、尺八、手拭い、下駄、太刀などの侠客が身につけるもので飾られています。

Kom12  コマ絵の形は、「大宮」でも描かれていた梅の花と判断されます。新町橋は、新町遊廓への通路で遊廓が桜の名所でもあることを勘案すると、コマ絵は桜の花の方が相応しいとも思えるのですが、舞台となった難波津を代表する梅の花が選ばれたようです。任客を花で飾る浮世絵はよくありますが、その際、江戸の桜に対して難波の梅という対比もあることでしょう。そして、コマ絵の風景は、英泉・広重版木曽街道の「本庄」と対比すると、「神流川渡場」の舟渡しの部分を拡大して構成したことが判ります。神流川は、「新町」の宿場に近いので、この選択は自然です。背後の山は、赤城山でしょうか。

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