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卅九 上松 江田源三

版元:八幡屋作次郎 年代:嘉永5(1852)年7月


Kn39  源頼朝から源義経暗殺の命を受け土佐坊昌俊が鎌倉を発つことを急報したとされているのが、『義経記』では「江田源三」です。そして、作品卅二での「弁慶尻馬」の後、結局、土佐坊は手勢を率いて、京堀河の館に源義経を襲うことになります。これらは、『平家物語』(巻十二、土佐房被斬)、同(剣巻)、『源平盛衰記』(巻四十六、土佐房上洛)、『義経記』(巻四、土佐坊義経の討手に上る事)等に記されています。

 国芳作品は、おそらく、鎌倉から急報した江田源三と事後に起こった土佐坊の堀河夜討で、いち早く義経の郎党に知らせた下部の喜三太とを一つのイメージとして創作したものと思われ、江田源三が松の木の上で物見する姿は、「上松」の地口に合わせた結果です。なお、国芳は、「上松」に「うえまつ」とルビをふっていますが、これは「あげまつ」の誤りです。標題の周りは、松、灯籠、手水桶など堀河の夜討ちの舞台飾りと考えられます。

Kom39  コマ絵は、鬼の顔を意匠しています。コマ絵から覗いている「斗」と併せると「魁」(さきがけ)という字になる仕掛で、江田源三の急報・活躍を意味します。英泉・広重版木曽街道の「上松」は、「小野の滝」を描いてます。国芳作品のコマ絵の山が木曽御嶽山ならば、「上松」に向かう途中木曽谷から唯一御嶽山が見える場所からの眺望でしょう。ただし、『木曽路名所図会』巻之三にある「小野瀧」の図版を参照したようにも見えます。英泉・広重版の趣旨を尊重して、後説としておきます。

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