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五 大宮 安倍宗任

版元:高田屋竹蔵 年代:嘉永5(1852)年6月 彫師:朝柳太 摺師:小善亀


Kn05  安倍宗任は、平安後期、奥羽の武将です。奥州奥六郡(岩手県内陸部)を基盤とし、父・頼時、兄・貞任とともに源頼義、義家と戦った前九年の役(1051~1062年)では、貞任と並んで、安倍軍抵抗の指揮をとりましたが、厨川柵(くりやがわのき)の戦いに敗れて降伏し、捕虜として都に連行され、後に九州に配流となっています。都に上ったとき、奥州の俘囚は花の名など知らぬだろうと侮蔑した公家が梅の花を示し、「宗任、これはいかに」と聞くと、「我が国の梅の花とは見たれども、大宮人はいかがいふらん」と歌で答え、都人を驚かせたという話が、『平家物語 剱之巻』(いわゆる『平家物語』とは別の物語)に紹介されています。

 鋭い目を向け、厳つい髭姿に梅鉢模様の袴を着けた宗任に対して、梅の枝を持つ若い公家を国芳は対照的に描いています。京に対して東国の江戸っ子には痛快な話でしょう。すでに気が付かれているでしょうが、宗任から梅の故事、そして「大宮人」の歌を引き出し、宿場名の「大宮」に繋げました。もともと、宿場名「大宮」の由来は、当地にある氷川神社から来ていますから、梅の故事とは無関係ですが…。なお、標題も梅の枝で囲まれています。

Kom05  さて、梅の花の形をした枠に描かれたコマ絵の分析が問題です。注目すべきは、当該国芳作品の全コマ絵の内、唯一雨が降っている情景だということです。梅の故事と言えば、菅原道真が有名で、雷神と化した道真が北野天満宮に祀られたことを思い起こすと、その雷雨なのかもしれませんが、副題に菅原道真の名がないことから、この考えは少しばかり強引です。  

 まず、描かれた場所を先に解決しましょう。国芳のコマ絵の「大宮」は、一つ飛ばして、大宮から上尾に行く途中の加茂神社を画題に選んだ英泉・広重版木曽街道の「上尾」と比較することになりますが、そうすると、国芳のコマ絵に小さく見える鳥居は加茂神社の鳥居でしょうか?たぶん、それは間違いでしょう。なぜならば、既述したように、大宮は武蔵野国の一宮で、全国に勧請される氷川神社の総社のある所なのです。国芳のコマ絵は、『木曽路名所図会』巻之四の図版で確認すると、木曽街道から氷川神社への入り口・一の鳥居辺りの風景であると推認されます。

 とすると、唯一雨が降る情景となっている氷川神社のコマ絵の理由は、この神社がもともとは池の畔にあった水神であったことと係わっているのかもしれません。また、梅の故事に因んで梅の花模様をした枠の中に降る雨、つまり、梅雨という語呂合わせになっている可能性もあります。しかも、それだけではなく、おそらく、浦和の団七の「水被り」場面と氷川神社の「雨降り」とを一対にした相似的表現を狙ったのではないでしょうか。

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