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三 蕨 犬山道節

版元:井筒屋庄吉 年代:嘉永5(1852)年5月


Kn03  本図は、『南総里見八犬伝』第三輯巻之四に掲載される、「寂莫道人肩柳」が円塚山で火遁の術を使って自焼する場面に取材しています。「寂莫道人肩柳」とは、忠の玉を持つ「犬山道節」のことで、民衆から軍資金を集めるためにこのような荒行を行っています。八犬伝では、道節は柴を使って自焼しますが、国芳の絵では右下に藁が材料として描かれています。これは、もちろん、宿場名の「蕨」(わらび)に掛けて、「藁の火」(わらのひ)とした意からです。もとより、宿場名「蕨」の由来の中には、藁の火が元になっているという伝承もありますから、ただの地口というだけではないかもしれませんが、といって、蕨の宿場の風景ではありません。「日本橋」「板橋」の宿場名とその作品情景とが地理的に関連していたのが、「蕨」に至って言葉遊び的な繋がりになってしまっている点に注意していただきたいと思います。

 標題の周りは、一つ前の「板橋」と全く同じで10匹の子犬で囲まれています。これは「板橋」と「蕨」とが見開きの一対(頁)と考えれば納得がいきます。八犬士の信乃と道節を水と火という対比をもって紹介する趣向です。以後の作品を読み解く際、見開き一対(頁)という認識は、大いに役立つものと考えられます。

Kom03  平木浮世絵美術館資料は、コマ絵の枠の形は雪輪紋で、雪の中を駆け回る犬のイメージから犬と雪とは縁のものという考えがあって、その意匠が使用されていると解しています。しかし、よく見ると、雪の六角形(雪輪)ではなく、五角形(五瓜あるいは五銀杏葉)であることに気付きます。この点は、次のように考えたいと思います。すなわち、道節の犬山家が仕えた煉馬氏は豊嶋氏とともに管領扇谷定正らに滅ぼされ、道節の父も討死にしたため、道節は扇谷定正を仇として執拗に付け狙いますが、その滅ぼされた煉馬氏、すなわち道節の家紋と推測されるのです(『南総里見八犬伝』第三輯巻之一参照)。 いずれにしろ、前の作品の「蝶」の紋が信乃にゆかりがあるように、本作品の「五角形」は道節ゆかりの紋と考えるのが筋でしょう。

 コマ絵の風景は、英泉・広重版木曽街道「蕨」の背景と異なっています。おそらく、英泉・広重版木曽街道「板橋」を国芳が飛び越した影響から、ここでも一つ飛び越して、英泉・広重版木曽街道の「浦和」をモチーフに描いたものと見受けられます。土橋を過ぎ、宿場にもっと近づいた箇所からの描写で、馬子の姿を描き入れたところは同じ着想です。ただし、浅間山は省略されています。

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木曽街道六十九次」カテゴリの記事

コメント

2年ぶりに再開されたのですね!
久々に来てみると更新されていたので
また楽しみができました。

長野にはもう春は訪れたのでしょうか?
お身体にお気をつけください☆

投稿: ももか。 | 2013年4月 7日 (日) 20時40分

 気が付いたら、二年経っていたというのが正直な感想です。文章が思うように流れないのが経年のサビかもしれませんが、ブログ、よろしくお願いします。

 花は、福寿草、水仙、スミレと咲いてきました。梅は開花直前、レンギョ、桜はやっと蕾がふくらんできたところです。

投稿: カワちゃん | 2013年4月 8日 (月) 10時28分

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