卅三 本山 山姥
版元:八幡屋作次郎 年代:嘉永5(1852)年7月 彫師:彫多吉 「十七 松井田」の山姥は、山の霊としての存在でしたが、ここでの山姥は、以下にあらすじを紹介する、謡曲(能の詞章)に謡われるものです。そして、この謡曲山姥は歌舞伎の所作事にも採り入れられることになります。また、「廿六 望月」の怪童丸の母としての山姥は、歌舞伎『嫗山姥』に集成され発展したものです。
【謡曲山姥】 : 都に、山姥の山廻りの曲舞をつくってうまく演じたことから、百ま山姥(百萬山姥または百魔山姥とも)という異名を取って、人気を博していた遊女がいました。ある時、遊女は善光寺参詣を志し、従者とともに信濃国を目指して旅に出ます。その途中で、越中・越後の国境にある境川に至り、そこから上路山を徒歩で越えようとしますが、急に日が暮れてしまいます。一同が困り果てているところに、やや年嵩の女が現れて、一夜の宿を貸そうと申し出てきました。庵に一同を案内した女は真の山姥であることを明かし、自分を題材にして遊女が名声を得た山姥の曲舞を一節謡ってほしい、日を暮れさせて庵に連れてきたのもそのためだと訴えます。遊女が恐ろしくなって謡おうとすると、女は押し止め、今宵の月の上がった夜半に謡ってくれるなら、真の姿を現して舞おうと告げて、消えてしまいます。
夜更けになって遊女らが舞曲を奏でつつ待っていると、山姥が異形の姿を現します。深山幽谷に日々を送る山姥の境涯を語り、仏法の深遠な哲理を説き、さらに真の山廻りの様子を表して舞ううちに、山姥の姿はいずこかへ消え、見えなくなりました。(the能.comからの引用)
国芳の本作品は、山姥がまさに山廻りの曲舞をする姿を描くものです。標題もそれに合わせて、雲と蔦のつるで囲まれています。そして、「真=本当の山姥」→「本山」となります。
コマ絵の形は、奥山を象徴し、山姥の着物の意匠にも使われている蔦の葉です。英泉・広重版木曽街道の「本山」は坂道のイメージで、地理的に似た場所を探せば、桜沢の高巻き道辺りに見つけられます。対して、コマ絵の風景は平坦で、本山宿辺りから木曽の山並みを遠望するものでしょう。
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