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十七 松井田 山姥 松井民次郎

版元:辻岡屋文助 年代:嘉永5(1852)年6月


Kn17  「山姥」や「松井民次郎」に関する資料は多寡は別として存在しますが、ここでは国芳の考案の元となった資料から直接作品の解説を試みてみます。それは、国芳『本朝劔道略傅 松井冨次郎茂仲』(天保14・1843年から弘化4・1847年)の詞書きです。

 すなわち、「幼稚時異人に倡(いざな)ハれ劔法を学びその後父の家に皈(かへ)り日夜学問執行なし暮せしに故あつて兄を何某に討れ其仇を尋んと所々方々廻りありき或時人も通ハぬ山中に分入このやま越にたどり行かバいづれへかむかふべし行て見むやと只一人道もなき山越にて日もはややう/\西にかたむきしころ一ツのながれに出たりしが何心なく此川をわたりしニ此方の岸なる草深き所より数千の蛇一群となりむかふの岸へわたりいづくともなくさりけれバふしぎと見るうち年の頃三十ばかりなる女忽然と来りて云たるハ今蛇の川を渡りたるハきのふ降たる雨に川水ましたれバ蛇疑ひて集り居たるが今御身の渡たまひしをみて夫をたよりに渡りしなりと語るこれ仙女にして冨次郎にさまざまの薬を与へ身の行末を教へ立去たる此後彼薬を服して大蛇をうち其毒氣を遁れしとぞ誠に名誉の達人と云つべし」というものです。

 当資料に従えば、国芳作品にある「山姥」とは、「仙女」のことであることが判ります。傍らの猿に話しかけるような山姥の表現は、幼少時、「異人に倡(いざな)ハれ」た民次郎に因んで西洋異国風に描かれていて、銅版画挿絵からの学習の結果を国芳が披露したものとも言えましょう。国芳の全体図は、先行する作品の詞書きにある状況をそのまま絵にしていますが、それは、宿場名「松井田」から「松井民次郎」を連想してのことです。標題は、山中の草々(シダ)に覆われています。

Kom17  さて、コマ絵の形は、縁起のよい櫛松(くしまつ)紋を意匠したものと推測されます。山姥がその髪を梳かす櫛に松井民次郎の松とを重ねて櫛松紋となっていると見ています。中に描かれるのは、英泉・広重版木曽街道の「松井田」丸山坂辺りの風景と同様と思われます。遠方に小さく見えるのが、碓氷峠でしょうか。ひょっとすると、さらに先の、横川の関所を望む情景かもしれません(『役者木曽街道』「松井田 横川 關守兵藤」参照)。

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