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「風景画ではない」広重の東海道五十三次

 広重の東海道五十三次は、従来言われていたような実景描写を旨とする風景画ではなくて、一種の構想図です。したがって、その構想理由を探ることが作品の味わいには極めて重要で、国貞の美人東海道シリーズとの比較も、このような思考からの試みでした。実際、当ブログで行った作業は試論の域を出ないものですが、それでも、いくつかの成果が得られたように思われます。それを、結論代わりに、以下に総括しておきます。

◆広重の雨の景色
 広重は、雨や雪の風景を表現するのに巧みで、快晴の風景を好む北斎とは対照的です。保永堂版東海道五十三次に限っては、雨の風景は以下の三宿です。

①「大磯 虎ヶ雨」
 虎ヶ雨は俳句の季語にもなる、曾我の仇討ちがあった旧暦5月28日の雨です。ちょうど梅雨時の雨ですが、『曾我物語』を題材に、その兄十郎の恋人虎御前の涙雨を想像させる工夫において選ばれたものです。

②「庄野 白雨」
 当ブログの分析では、日本武尊の死を悼む慟哭の雨と理解しました。つまり、白雨を白鳥の陵を象徴・暗示させる意図的な天候選択と捉えました。まさに、道中、白雨に祟られて大変だったという構成です。そして、その熱田の神(日本武尊)の祟りを、亀山の雪で断ち切ったと考えています。亀は縁起の良い動物ですし…。

③「土山 春之雨」
 「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る…」という鈴鹿馬子唄がテーマになっていることは間違いありません。ただし、作品を見ると、坂上田村麻呂を祀った田村神社が描かれています。征夷大将軍となった坂上田村麻呂には多くの伝説が生まれ、ここ鈴鹿山にもその一つがあります。田村神社の神域に入ったことを表す雨と見ることができます。なお、徳川幕府将軍が、征夷大将軍であることも忘れてはなりません。

◆広重の雪の景色
 シリーズ中の最高傑作とも評価される「蒲原」に雪が降らないことは、度々指摘されるところです。ところが、では、なぜ雪景色なのかということはあまり語られていません。実景描写の風景画という視点から離れれば、色々な可能性が浮かび上がってきます。

①「蒲原 夜之雪」
 蒲原の夜の雪には、「奥州への旅立ち」を果たせなかった浄瑠璃姫の悲哀とその死の情緒が表現されていると考えます。雪の持つ、死と再生の観念は、物語の表現には非常に有効です。昼間の現実の雪ではなく、まさに夜の、思いの中の雪なのです。 

②「亀山 雪晴」
 亀山は、元禄14年、城下で石井兄弟が父と兄の敵を苦節28年にして討ち果たした、元禄曾我の舞台です。仇討ちの達成された後の、心の雪晴なのです。広重の武家的感覚から、また画中の大名行列を考えても、忠臣蔵の仇討ち後と同様の達成感が雪景色に込められているのだと思います。

◆広重の風、霧などの景色
 風がテーマになっている作品は、「掛川 秋葉山遠望」、「池鯉鮒 首夏馬市」、「四日市 三重川」などがあります。凧の糸が切れて飛んでいく「掛川」の風は、秋葉権現・天狗の団扇の風です。突如鯨の背のような山が現れた「池鯉鮒」の風は、池鯉鮒神社の主の存在を想像させます。「四日市」には蜃気楼伝説があり、旅笠を飛ばす風は神幸する伊勢太神宮の仕業です。一陣の風に神を見、それぞれを神風と感じるのが日本人の心なのではないでしょうか。また、「三島 朝霧」は、三島明神の静謐と神威を醸し出す妙手と考えるべきです。

 このように、広重の天候の選択には、日本人が今日忘れつつある、自然と人との心理的共感関係が影響を与えています。雨には死を悼む気持ちや畏れ多いものを隠す感情が、雪にはその死を断ち切り、再生し、思いを鎮める意図が、風や霧には、見えない存在を躍動・顕現させる工夫が隠されています。実景描写を第一義とする「風景画」というアプローチでは、目に見えるものしか見えてきません。おそらく、この辺りに、今日的「風景画」と江戸時代の「名所絵」との相違があるのではないでしょうか。

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