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53.東海道五拾三次之内 草津 名物立場 :草津ノ圖

Kunisada053_n  国貞の「草津」は、「東海道」と「中仙道木曽街道」の追分道標を描いていますが、これは『東海道名所図会』を写したものです。よく見ると、石の道標の上に紐で結ばれた猿が逃げており、その下には猿回しの師匠に吠えかける二匹の犬が描かれています。たぶん、東海道の犬と木曽街道の猿との出会いをおもしろおかしく表現するもので、子供や子守をする女達も集まって騒いでいるようです。前面に描かれた美人は、これに対して、被衣(かずき)を被った上品な出で立ちで、都が近いことを想像させます。

 ところで、国貞の前掲「岡崎」でも猿が描かれていましたが、そこでの読み説きを思い出していただくと(当ブログ・東海道五拾三次之内「岡崎」参照)、犬に追われる猿(回し)には、別の解釈も可能なのです。すなわち、猿を豊臣と見るならば、二匹の犬は徳川になります。犬に追い立てられて追分の道標に逃げている猿の姿は秀吉ではなくて、秀頼と見るべきでしょう。二匹の犬は、家康と秀忠です。石山本願寺の跡地に建った大坂城を巡る攻防、すなわち、大坂の陣を暗喩しているのです。道標の前の高札場も、何となく、城の天守閣に見えてきませんか。鞭を振って犬を追い払っている者は、豊臣恩顧の武者、なかでも、真田丸を築いて奮戦した真田幸村(信繁)かもしれません。となれば、大坂冬の陣です。

 被衣姿の美人は、近江浅井氏の出身、秀頼の母・淀君(茶々)と解してはいかがでしょうか。

 さらに、国貞作品で、犬と猿との喧噪を子供や子守姿の女達が見守っているのは、草津が、名物「姥ヶ餅」(うばがもち)のご当地だからです。近江源氏の嫡流・佐々木氏の子孫を養うために乳母が作って売った餅が由来となっています。そこに、歌舞伎『近江源氏先陣館』において、大坂冬の陣が鎌倉時代の近江源氏の戦いに置き換えられ、佐々木盛綱・高綱が真田信幸・幸村になぞらえられている事実を重ね合わせると、国貞の作品は微妙な問題を含んでいることになります。

 広重は、副題「名物立場」が示すように、草津宿郊外の「うばのちや」を、やはり、『東海道名所図会』より切り取りました。名物の「姥ヶ餅」を売る立場茶屋の情景を克明に描いていますが、都に向かう早駕籠と草津方向に進む荷物人足を加えた以外に、広重自身のオリジナリティーはほとんどありません。右側の道標は、琵琶湖矢橋湊と東海道を分けるもので、琵琶湖が近いことが暗示されています。水口、石部、草津といずれも名物紹介に走り、ネタ詰まりとシリーズ完結への焦りが読み取れます。なお、幕府御家人の広重には、国貞のような大坂の陣を仮託しようとの思惑はないと考えられます。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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