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50.東海道五拾三次之内 土´山 春之雨 :土山之圖

Kunisada050_n  「土山」は、鈴鹿峠を越えてだらだらと下る坂の先にある宿で、これより「近江国」に入ります。国貞の美人東海道を見ると雨に濡れる旅人が足を早める様が描かれていますが、『東海道名所図会』には、「西立場に多賀神社へ参詣道の標石あり」とあり、国貞は、その絵図を『伊勢参宮名所図会 巻之二』「土山」に見つけ、それを元絵に作品を仕立てています。そして、それに合わせて傘を持って雨支度をした立ち姿の美人を重ねました。この美人は、縦二枚続作品でよく見る構図です。国貞も、広重も、『仮名手本忠臣蔵』の各種要素を作品中に取り込んでいることは既に見てきたとおりですが、江戸庶民は、当該「土山」の美人を目にして、たぶん、同忠臣蔵五段目の「雨の山崎街道」を想像したように思われます。都はずれの山崎街道、蛇の目傘を差す斧定九郎の見立てです。旅も京近く、近江に入ってきましたし…。

 さて、広重もやはり副題「春之雨」とあるように雨の景色です。では、これは国貞の考案を拝借したのかというと、それは違い、土山の雨の天気がつとに有名であった結果です。すなわち、「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」という鈴鹿馬子唄を受けたものなのです。それでも、広重は、天気は同じですが、国貞とは異なって、赤合羽と青色半合羽で身を包み、粛々と歩む大名行列を登場させ、オリジナリティーを主張しました。

 広重の作品は、田村川に架かる板橋を大名行列が渡る構図ですが、『東海道名所図会』および『伊勢参宮名所図会』を参考にすると、その先に見える森の中には平安時代の武官・坂上田村麻呂を祀った古社の田村神社があることが判ります。この雨は、降雨量が多い土地柄だけから描かれたものではなく、たとえば、雨は亀山の方が多い位ですので、この古社に係わって降る雨と考えるのが自然でしょう。かつて、関所が置かれる程の要地であり、また、後に盗賊・夜盗とされて成敗されてしまった者達の怨念を征夷大将軍坂上田村麻呂の霊力で抑えたのが、おそらく田村神社であって、そのような鈴鹿山の坂上田村麻呂伝説を背景に、土山に降る雨は田村神社の怪しい雰囲気を伝える演出として選ばれたのでしょう。(「三島」の三島神社も霧に包まれていました。)副題「春之雨」は、山の神が里に下りてくる春の意です。なお、広重作品で、大名一行が田村神社に頭を下げているように見えるのは偶然ではなく、御家人広重の、征夷大将軍に対する敬意の表れと見ることもできましょう。

 ちなみに、鈴鹿馬子唄には、さらに「与作思えば照る日もくもる 関の小万の涙雨」とあります。これは、『丹波与作待夜小室節』(歌舞伎『恋女房染分手綱』)の哀愁話ですが、雨を単純に自然現象と考えない日本人の心情を伝えるものとして敢えて紹介しておきます。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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