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48.東海道五拾三次之内 關 本陣早立 :関ノ圖

Kunisada048_n  不破と愛発(あらち)を含め、古代三関の一つ鈴鹿の関があったのが、宿名「関」の由来です。国貞が、『東海道名所図会』および『伊勢参宮名所図会』を参考に、関宿の手前にある「伊勢神宮別道」の鳥居と東に向かう大名行列を描いてしまったので、広重は、参勤交代の大名が宿泊する施設の「本陣」を大描きすることとしました。朝暗いうちから出立する武士達の準備風景ですが、本陣前の、大名の名を書いた関札を立てる竹矢来(たけやらい)の竹組みは、拡大して見ていただきたいのですが、物理的にありえない結び方です。実景ではないということです。

 子細に見ると、幔幕や提灯の紋は、広重の父方の実家・田中家に因んで田と中の組み合わせです。奥の提灯には、「ヒロ」のデザイン、すなわち広重の名前が入れられています。時々、作品中の大名行列などに、「ヒロ」を代表として広重の意匠が入っていることがあります。架空の大名行列あるいは本作品では架空の本陣ですよという、広重の気遣いと受けとめた方がよいでしょう。実景描写には、幕府の取締からして色々な問題がありますからね。さらに本陣の中の木札には「皃の薬仙女香」「しらが薬美玄香」と、襖には「京はし南てんま丁三丁め坂本氏」と各種の宣伝文句が書かれ、特段、関宿の本陣を描写しようとすることにこだわってはいないことが判ります。つまり、架空という前提だから、自由な表現上の遊びもできようというものです。本陣に白粉や髪染めの宣伝は一見ミスマッチですが、「関」は「女郎屋なくして関立たん」と唄われる程飯盛女で有名なことを思い起こすと、昨夜の狂騒が想像され、これが「本陣早立」作品の諧謔性を慎ましやかに表現しているものと思われます。

 話は戻って、国貞は、「伊勢神宮別道」に絡めて、伊勢神宮の巫女か斎宮風の美人を描き加えました。ここで関西からの伊勢参りの旅人と合流するので、以後の宿は、また、庶民往来の盛況を見せます。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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