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47.東海道五拾三次之内 亀山 雪晴 :亀山ノ圖

Kunisada047_n  北の亀山城と南の鈴鹿川の間に「亀山」は発達し、東の江戸口門と西の京口門が宿場の出入りと城の防衛の役割を担っていました。旅籠や本陣などは、江戸口門から大手門までの間に数多く建ち並んでいたと言います。国貞の作品は、その旅籠の一つより山並みを背景に、粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)と言われた亀山城を望むものです。

 「石薬師」「庄野」は休憩するための宿場なので、描かれた美人も廻り髪結いや旅の女性でしたが、「亀山」では旅籠の前に鼓を打つ芸者が選ばれています。宿場の性格を反映した題材です。次の「関」に近い鷲山に奥州出羽国の羽黒権現を祀る羽黒山があって、源義経の家来佐藤継信・忠信にゆかりがあるそうです。美人が鼓を打っているのは、『義経千本桜』の「狐忠信(源九郎狐)」に由来するのでしょうか。

 広重作品は、亀山城を一部のみ見せ、西から京口門に入る大名行列を描いています。弥次・喜多の二人もそうでしたが、伊勢参りの人々は「四日市」から伊勢参宮道に進んでしまうので、東海道を旅する人物としては、自ずと大名や武士の一行が残ることとなります。副題が「雪晴」(ゆきばれ)とされ、雪景色が描かれているのは、前半に「蒲原 夜之雪」そして後半に「亀山 雪晴」という、シリーズ全体の構成と見ることができます。しかしながら、雪には「再生」、「静謐」、「一新」や「達成」を暗示する要素がありますから、ここでは、その意味合いをもう少し詳しく分析してみましょう。

 いくつかの可能性がありますが、一番目として、伊勢参りのテーマが一つ達成されたのは事実です。したがって、後は、日本橋を発った大名一行が京に到着する旅を完結させる、最終章に入るという合図です。二番目として、日本武尊を祀る熱田の「宮」から、海路七里の結界「桑名」を越え、「四日市」で伊勢太神宮の「神風」に当たり、「石薬師」「庄野」と日本武尊の絶命の地を辿り、白雨(日本武尊の霊)に祟られ、神々の世界に入り込んだ人々が、この雪晴で、再生、気分を一新して京への旅に向かうというメッセージです。そして、三番目として、亀山は、元禄14年、城下で石井兄弟が父と兄の敵を苦節28年にして討ち果たした、元禄曾我の舞台でもあります。翌年に赤穂浪士の仇討ちが行われました。仇討ちの達成された後は、忠臣蔵でもそうですが、やはり、雪景色です。大名行列が描き加えられていることも併せて考えて、かつ広重の武家的感覚から判断して、最後の事跡を当ブログの結論としておきます。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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