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45.東海道五拾三次之内 石藥(薬)師 石藥(薬)師寺 :石藥師ノ圖

Kunisada045_n  国貞が先行しているという前提で話を進めます。国貞の作品は、右手に鳥居が描かれていて、『東海道名所図会』の影響で、石薬師ではなく、高宮村にあった、日本武尊の笠を蔵めた「多度社」とその南にある「熊野権現」(後に合祀されて「加佐登神社」)、そして「白鳥塚」(しらとりづか)とに視線を向けています。当時、「白鳥塚」は、日本武尊が崩じて白鳥になって大和に飛び去った陵(みささぎ)と信じられていました。

 「石薬師」と「庄野」との間は距離が短く、一体とした農村地帯で、そのなかでも国貞の選んだ場所は、「石薬師」の西方で「庄野」に近いと言えます。なお、当地には、食事の世話などをする後宮の女官・采女(うねめ)という地名もあって、傷を負った日本武尊が介抱されたという伝説があります。もともと、薬師(くすし)の地名に相応しい事跡があったと言えましょう。

 ところで、国貞が描く美人は櫛を髪に二本挿す女髪結い姿です。当地には、日本武尊の御笠堂、奉冠塚、奉飾塚などの髪や装飾関連の古跡が多くあることから選ばれたと推測しています。

 「石薬師」は、花崗岩の自然石に彫られた薬師如来を本尊とする石薬師寺を宿名とします。そこで、広重は、『東海道名所図会』を参考に同寺の山門を描き、老僧と軽尻の馬に乗った旅人を配置させました。本堂は、山門右手にあります。旅人が道中の安全を祈願したことは言うまでもないことです。作品の全体の雰囲気は、穫り入れの終わった農村風景で、背後の鈴鹿山系の山並みと対照させています。実際には、これ程近くには、山並みはありません。杖衝坂を越えて石薬師に入ったとされる日本武尊の伝説を下敷きにすると、山並みの高さは傷を負った日本武尊の坂越えの苦労を偲ばせる効果があります。また、秋の田園風景は、瑞穂の国・大和(盆地)のイメージかもしれません。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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