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44.東海道五拾三次之内 四日市 三重川 :四日市之圖

 古くから四のつく日に市場が開かれたことから「四日市」と呼ばれる当宿は、鈴鹿山脈から東に流れ、伊勢湾に注ぐ「三重川」(三滝川)の河口南側に発達しています。この辺りの海を那古の海と言い、四日市湊と宮との間に十里の渡しもありました。当宿は、伊勢参宮道と東海道の分岐点で、弥次・喜多は、日永の追分を左に折れ東海道を離れて、いよいよ伊勢参りとなります。つまり、「四日市」は、東海道においては、伊勢神宮を象徴する宿に位置づけられるということです。

 前回のブログで、桑名屋徳蔵が海坊主と対決する伝説に触れましたが、ここ「四日市」にも蜃気楼伝説があります。三代豊国『東海道五十三對 四日市 那古海蜃楼』によれば、春夏、伊勢の太神宮が尾張の熱田宮へ神幸する際に見られる、あるいは海中の大蛤の気から生まれるとも言われています。原典である『東海道名所図会』にも、同様の記述があって、那古の海一帯が魔も含めて神々の世界であると印象づけています。現実には、海上の陽炎現象なのですが、当時の庶民が信仰世界の中に生きていたことを思い起こす必要があります。

 さて、広重は、風を主題にして、強風に吹かれる柳と弥次・喜多風の旅人を滑稽な仕草も加えつつ描いています。この作品は、北斎の富嶽シリーズの一枚「駿州江尻」を彷彿とさせます。既に述べたように、北斎の風には富士講との係わりが深部に隠されていますが(当ブログ・冨嶽三十六景「駿州江尻」参照)、ならば、広重の風には伊勢講との関連があると考えるのが自然ではないでしょうか。広重は、伊勢神宮の神域に近づきつつあることを示す工夫として、「神風」を描くこととしたのです。そう考えると、なぜ「四日市」に限って、広重は国貞に先んじて作品を描いていたのかが明白になります。重要な一枚なのです。そして、これが広重が国貞に先行する最後の作品となりました。

Kunisada044_n  国貞は広重作品の背景を使用しています。「宮」以降、この作品に限っては広重が先行版行していたからです。国貞は、風に吹かれる柳に例えて、柳腰の見返り美人を描いたようです。後家島田の一見地味な姿の遊女は、『東海道名所図会』に「旅舎に招婦見えていと賑わし」と記述されているのを意識した光景でしょうか。

 凧の糸が切れて飛んでいく「掛川」の風は「秋葉権現」、突如鯨の背のような山が現れた「池鯉鮒」の風は「知立神社」、旅笠を飛ばす風は「伊勢神宮」の仕業であり、それぞれの神風と感じるのが日本人の心なのではないかと思います。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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