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43.東海道五拾三次之内 桑名 七里渡口 :桑名之圖

 庶民が東海道を旅する目的の最大のものは伊勢参りです。今回のブログより、伊勢参りの終着地「伊勢国」に入ります。「宮」から「桑名」へは海路となり、両宿場には「七里の渡口」があります。この海路は、木曽川、長良川、揖斐川の大河を避けるための航路として、熱田や伊勢への旅人で大変賑わっていたと言われています。また「桑名」と言えば、「その手はくわなの焼蛤」と語られるように、焼蛤が名物です。弥次・喜多も、その焼蛤を巡って一悶着起こしています…。

Kunisada043_n  ということで、国貞は、『東海道名所図会』を参考に、おぶけの焼蛤を広重に先んじて描いています。茶屋の表戸には「しぐれ焼蛤」と宣伝されていて、その前に、焼蛤を売る茶屋娘の美人が描き添えられ、一種のポスター仕立てです。同図会の旅は西から東に向かう前提なので、初めにおぶけの焼蛤を賞味してしまった後の「桑名」では、「その手はくわなの焼蛤」と言って断るのだそうです。

 焼蛤という判りやすい題材を国貞に描かれてしまった広重は、当然、別の題材を探すことになります。ところが、広重の旅は、東から西に向かうものでした。ということは、「桑名 七里渡口」が伊勢への入口を意味し、大変具合の良い画題となったのです。渡口は、海上から眺めると左手に桑名城が見えます。広重も岸に着こうと帆を下ろしている船を描き、伊勢への到着とその安堵感を情景描写したと考えられます。船内には弥次・喜多がいるのではとも想像され、さらに桑名の名物焼蛤を楽しむ景色があっても不思議ではありませんが、広重がそれを避けたことは上に述べた通りです。国貞の後塵を拝し、広重が「宮」で熱田湊を描けなかったことが、逆に、好都合の結果となりました。

 ちなみに、相州「七里ヶ浜」は、鎌倉の鶴岡八幡宮から七里の結界、南西裏鬼門に当たりましたが、桑名の「七里の渡口」も、おそらく、熱田神宮から七里の結界、南西裏鬼門の地ということと深く関連していると考えられます。国芳『東海道五十三對 桑名 舩のり徳蔵の傳』で、桑名屋徳蔵が海坊主と対峙する話も、鬼(門)の地を特徴づける伝説と係わりがあるように思われます。唐突にこんな話を持ち出すのは、次回、「桑名」の海坊主や「四日市」の蜃気楼伝説を背景として、広重の作品を分析する予定だからです。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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