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42.東海道五拾三次之内 宮 熱田神事 :宮之圖

 これ以降のシリーズでは、国貞の作品が先行し、広重が後から追う形となります。このことは、広重作品の題材選定に大きな影響を与えていて、詳細は個別的に検討していきますが、広重は、国貞が描いた主題を避けながら、何とかオリジナリティーを出そうと苦労しています。つまり、国貞は美人姿で個性を出せば良いので、広重の風景を転用することにほとんど躊躇はありません。しかし、広重は、宿場の風景・情景を宣伝文句に従えば、「真景」として見せようというのですから、国貞の背景を真似たまま使用する訳にはいかないのです。

Kunisada042_n  具体的に見てみましょう。東海道は、「宮」から海路をとり、「桑名」までの七里の航路となります。そこで、国貞は『東海道名所図会』を参考に、「宮」の港とその浜鳥居を描きました。これによって、海路と宮の呼び名の元となった熱田神宮との二要素を取り込むことに成功しました。そして、美人として熱田神宮の巫女を描き加える趣向です。国貞の題材選びは自然なものと思われます。ただし、同図会とは異なって、鳥居は、古くの明神形式のままですが。

 さて、熱田神宮は、日本武尊の草薙の剣が祀られる古来より有名な軍神の神社です。元武家であった広重には当然外す訳にはいかない名所ですが、直接当神宮を描くことは憚られますし、また、国貞と同じ絵組みを採ることはできません。そこで、広重は、浜鳥居に「熱田神事」を組み合わせるという構図を考えました。こうして生まれたのが、有松絞の揃いの法被を着た若者達が「端午の走り馬」または「端午の馬の塔(おまんとう)」と呼ばれる祭をしている勇壮な風情描写なのです。

 このお祭は尾張や西三河地方で行われた地域習俗で、庶民が地域の各寺社にお参りする行事でした。その意味で、副題の「熱田神事」(熱田神宮主催)かということになると不正確な表現になります。そのためか、後摺りでは、副題が「濱の旅舎」に改変されました。いずれにせよ、宮で熱田神宮をテーマにしたかった広重の気持ちは、十分に理解できます。なお、国貞と同様、右手前の鳥居が明神形式となっていて、当時の熱田神宮の神明形式と一致していません。実際のスケッチを元にして描いたのではなくて、国貞との棲み分けから構想した作品であったためでしょう。

 広重の「宮」以降の作品においては、宿場の情景選択としてやや不自然さを感じることがあります。それは、国貞が先に主要な題材を選定してしまったことに一因があると考えられます。けれども、後々触れますが、逆にそれによって広重の新鮮な表現も多数生まれていることが重要です。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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