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38.東海道五拾三次之内 藤川 棒鼻ノ圖 :藤川ノ圖

 広重作品の中央には榜示杭が立っています。おそらく、そこには「自是岡崎藩領 藤川宿」とでも書かれていたことでしょう。この榜示杭の棒が宿場の端(はな)にあったことから、宿場外れを副題にある「棒鼻」(棒端)と呼んだようです。藤川宿だけでなく、ほとんどの宿場外れは、当該作品のような景色であったと思われますから、当該作品の趣向は、藤川の風景ではなくて、「棒鼻」のおもしろさを伝えるものであったはずです。

 二頭の馬に御幣が立てられていることから、幕府が朝廷に馬を献上する八朔御馬進献の一行と考えられます。その一行の先頭に竹の棒を持った先払いがいますが、それが副題の「棒鼻」と掛けられていると見るべきでしょう。さらには、二本の御幣も棒に掛けられているのかもしれません。また、三匹の犬が、一行を迎える宿場役人と旅人の姿態と同じ形で出迎えている中に諧謔嗜好を見つけることもできます。御馬様を御犬様が迎えていることが微笑ましくも滑稽であると、広重は考えたのでしょう。

 ちなみに、先箱に描かれた家紋は、同「荒井」の幔幕に描かれた紋と似ています。同じ一行かもしれません。ところで、「荒井」では中間の一人が欠伸をしていました。これを広重が同道した時の図とすると、仲間の失態を公表する作品となってしまいます。したがって、これも、急ぐ船頭と呑気な中間の対比のなかに諧謔を見る趣向のはずです。

 当該作品は、副題「棒鼻」に強く引っ張られて選定された題材から構想され、広重が東海道を旅した事実との関連性がないことがかえって柔軟な表現(諧謔)を許容する条件となっています。藤川の風景としてのオリジナリティーも余りありませんので、同道の写生図に基づくと推定することは難しいと言えるでしょう。というわけで、かって有力に主張された見解;本作品をもって広重が八朔御馬進献の儀に同道した証拠とする主張、には与することができません。付け加えれば、徳川家康が江戸に入府した八月一(朔)日を記念して行われる八朔御馬進献の儀を「藤川」の題材としたのは、これより、家康出生地の岡崎藩領に入るからです。しかも、画中の家紋が源氏ゆかりの「笹竜胆」になっているのも、幕府の行事であることを暗示しつつ、他方で、幕府色を薄めるバランス感覚から選ばれたものでしょう。いずれも、元定火消同心・広重の幕府に対する配慮と考えられます。

Kunisada038_n  国貞も、その一行の前に洗濯美人を描いていて、八朔御馬進献の儀にそれ程の重要性を置いていないことが明らかです。同一行が描かれているのは広重の洒落と判っており、国貞は、そのうえで洗濯美人を重ね合わせているのです。藤の模様の入った前掛けをして川で洗濯する美人、まさに藤川の洗濯美人となります。美人の洗濯姿は、粂仙人の古より、女性の美しさの典型でした。背景が旧暦七月末頃と想定されるので、美人の姿は涼を誘うでしょうね。

 さらに、この盥を持つ美人がただ洗濯をするのではなくて、布晒しの美人であるならば面白い解釈が導き出されます。というのは、晒女には手綱を下駄で踏んで暴れ馬を止めた「近江のおかね」のイメージがあるので、作品の背景に描かれる八朔御馬進献の行列を止めんばかりの情景が想像されませんか。宿場の棒鼻近くの川で布晒しというのは、当時、すぐに思い浮かぶ典型的風景であったのかもしれません。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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