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広重と国貞の東海道五十三次

 歌川広重の『東海道五拾三次』(保永堂版)は、今日多くの人に知られる代表的浮世絵シリーズの一つですが、それは、日本人にとっての原風景である、江戸時代の懐かしい情景を採り上げていて、特段の解説がなくても私達に比較的馴染みやすいところにその理由があるように思われます。作品の版行された江戸時代でも、風景画(当時は名所絵)の領域では、『冨嶽三十六景』を描いた先人北斎を凌駕し、結果として、北斎をこの領域から放逐してしまう程の人気でした。現在では、「天才浮世絵師北斎の人気を凌駕した」広重というのは、大変な誉め言葉になりますが、江戸時代を想定すれば、同じ歌川派の総帥筋に当たる国貞が広重の東海道の風景をそのまま転用して、『五拾三驛景色入美人繪』(美人東海道)を描いたことの方が大きな意味があります。

Kunisada000_n  この国貞のいわゆる美人東海道は、一般的にはあまり知られた作品ではありませんけれども、江戸時代には著作権という観念はなかったという文脈で時々紹介されることがあります。もちろん、江戸時代でもそのままの真似は批判されるので、一流の浮世絵師は、たとえば、国貞が広重作品を背景にそこに美人を描き加えたように、新しい趣をもった作品として制作します。国貞の美人東海道の第一の特徴は、広重が保永堂版東海道を制作していたと同時期に生まれた作品であるというところにあります。したがって、広重作品の意図を読み解く、同時期の資料として有用なのではないかと推測しているのです。

 当ブログは、以後、この国貞の美人東海道を使って、広重作品の構想や思いを一点毎に読み解いていこうと試みていきます。ちなみに、天保4年から版行された広重の保永堂版東海道を国貞は後追いしながら、結局は、国貞の美人東海道の方が先に完成し、画帳仕立てで売り出されたようです。追いついたのは、どうやら「宮」(現在の名古屋)辺りと推量されます。詳細は、その時点で、また触れていきたいと考えています。

 本来ならば、広重や当時の浮世絵界の事情、東海道の各宿場の状況など概括的に述べておくとよいのかもしれませんが、なかなか本題に入ることができなくなるので、個々の作品の解説に際して補足することとします。ただし、一つ前置きしておくならば、当ブログでは、広重は保永堂版東海道の制作に際して、事前に東海道五十三次を旅していないであろうという視点で作品を味わっていくということです。

 なお、技術的なことですが、以下のブログの標題は広重の保永堂版東海道、続いて国貞の美人東海道の順番で並列して記載していきます。また、広重の図版については、数多くの資料が一般に公刊されていますので、その代表的図録等を手元に置いてご拝読下されば幸いです。以上、よろしく、お願い申しあげます。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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コメント

約1年のお休み中何度か
訪問させて頂いてました。
また、色々と面白いお話を読めるのを
楽しみにしています★

図々しくもまたコメントしてしまいました。

投稿: ももか | 2011年4月 7日 (木) 23時33分

 広重の出世作は、本文で紹介する『東海道五拾三次』ですが、晩年の大作シリーズは『名所江戸百景』です。通常「江戸百」といわれるこのシリーズは、安政の江戸地震から復興再生していく江戸を名所絵風に報告する錦絵で、多くの神社仏閣や庶民の祭りなどの復活が紹介されています。

 東日本大地震からの復興を目にする頃、また、改めてこのシリーズを絵解きしてみたいと思います。早く、その日が来るのを希求しています。

 一年ぶりのブログ再開となりましたが、よろしく、お願いいたします。

投稿: カワちゃん | 2011年4月 8日 (金) 12時07分

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