« 広重と国貞の東海道五十三次 | トップページ | 02.東海道五拾三次之内 品川 日之出 :品川之圖 »

01.東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景 :江戸日本橋之圖

 広重は日本橋を南から北に向けて描き、その橋の上に朝立ちの大名行列を配置した構図を採用しました。したがって、橋の西方にある千代田城や富士山は見えませんし、同じく東にある日本橋川沿いの魚河岸も描かれていません。ただし、天秤棒を担ぐ魚河岸の男達を何人も加えることによって、日本橋を代表する河岸を象徴させています。遠景に見える火の見櫓は、広重の前職である定火消し同心にとっては、重要な江戸の守りとして忘れてはならない施設でしょう。左右の木戸が開く絵組みは、まさに、これからシリーズが始まるという工夫です。

Kunisada001_n  さて、国貞は、同じく日本橋を南北に眺める構図を引き継ぎつつ、本来は見えることのない富士山を描き入れ、それと相似するように凧の揚がる正月風景としました。揚がる凧のように見える富士、富士のように見える凧揚げという視点は、先行する北斎の『冨嶽三十六景』のなかで度々見られる仕掛けです。また、日本橋の上には、大名行列ではなくて大八車を引く男達がいますが、これも、北斎の同シリーズ「江戸日本橋」にある情景です。穿った見方をすれば、国貞は、広重ではなくて、北斎を手本にしたという言い訳をしているように思われます。

 ところで、広重の大名行列は、千代田(江戸)城を暗示させる記号であったと考えられます。これに対して、国貞は、梅の花咲く着物柄の奥御殿風の女房を手前に置いて、同様の役割を果たさせました。私達は忘れがちですが、元々は幕府御家人であった広重の感性は、他の浮世絵師とは異なって意外に武家的であるということです。北斎が、前出「江戸日本橋」を町民で埋め尽くしていたことや国貞が敢えて大名行列を外したことなどは、逆に町人浮世絵師の矜持と見ています。

 広重の日本橋の大名行列は、当時庶民に人気のあった双六の振り出しの感覚で評価する向きもあります。しかし、それだけではなく、くわえて広重の武士感覚のなせる技でもあったのではないでしょうか。そこに、大名・武士生活を覗き見たいという庶民要求に応える、新規の趣向があったということです。広重の作品は横大判、国貞の作品はその半分の縦中判という形式の違いがありますが、内容には、武士的感覚と町人的感覚という違いがあると考えています。その感覚の違いがその後の作品の表現にどんな影響を与えているかが、当ブログの関心の一つです。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

|

« 広重と国貞の東海道五十三次 | トップページ | 02.東海道五拾三次之内 品川 日之出 :品川之圖 »

東海道五十三次」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197953/51333925

この記事へのトラックバック一覧です: 01.東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景 :江戸日本橋之圖:

« 広重と国貞の東海道五十三次 | トップページ | 02.東海道五拾三次之内 品川 日之出 :品川之圖 »