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27.東海道五拾三次之内 掛川 秋葉山遠望 :掛川之圖

 広重作品は、副題「秋葉山遠望」とあるように、掛川宿の西方、二瀬川に掛かる大池橋から秋葉山を望む風景です。実際には、これ程大きな秋葉山は見えません。橋の手前に描かれる常夜燈は、秋葉講が建てたもので、橋を渡ると秋葉山へ向かう鳥居が右手にあるはずです。橋の向かい側から、結袈裟を着た修験の老僧が供の者と歩いてきます。供の者の視線は、広重お得意の技法、「枠からはみ出る」程高く上がる遠州凧の先、秋葉山に向けられているのでしょう。手前側からは巡礼と思われる老夫婦が腰を屈めて進んできますが、これは老僧に頭を下げているのでしょうか、それとも、凧の糸が切れるほどの風に身を構えているのでしょうか。老僧が扇子を敢えて開いて見せているのは、天狗の団扇に見立てていると考えると、これはなかなかの趣向です。その老僧(大天狗)に対して、楓模様の絞りの着物を着る子供(小天狗)もまた囃し立てている風情なのですが、あるいは、糸の切れた凧を追っているのかもしれません。旅の老僧を秋葉大権現に見立てた(掛けた)、掛川の図ではないでしょうか。

 遠州凧は五月の節句に揚げる風習なので、子供が登場する状況や橋の後ろの田植え風景とは一貫します。ただし、左に傾く草木の風向きと右後方に揚がる凧の風向きとが不一致なのは気になります。これも、秋葉大権現の持つ天狗の団扇、そして修験の老僧の威光なのかもしれません。実景表現よりは、諧謔趣向の強い作品の一つです。

Kunisada027_n  一方、国貞は、柴に腰を下ろし、先ほどの子供と同じ絞りの手拭いを頭に掛ける美人です。右手に紅葉の枝を持っているところを見ると山仕事からの帰りという設定になりますが、広重の五月の節句に対して、紅葉の枝や楓の絞りの手拭いなど一見すると秋を想起させ一致しないように感じられます。しかし、紅葉の枝や楓が秋葉大権現の象徴と判れば、矛盾するところはありません。薪を題材にしたのも、秋葉大権現が火伏(ひぶせ)の神だからです。手に持つ紅葉の枝を天狗の団扇と見れば、この美人こそ秋葉大権現のやつし姿と見ることもできます。また、柴に腰を「掛ける」美人は、「掛川」の地口というのはどうでしょうか。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。


 なお、刈柴の上に掛ける美人は、謡曲『卒都波小町』に因んだ絵姿と見ることもできます。すなわち、卒塔婆に腰掛ける老婆を高野山の僧が見咎め、説教を始めますが、ついに法論でやり込められてしまいます。じつは、その老婆こそ才色兼備を謳われた小野小町の果ての姿で、深草少将の霊に取り憑かれ、その執着に苦しめられていることを述べるというものです。橋の上の修行僧と対比させると、本作品の美人は、まさに『卒都波小町』のやつし姿となりましょう。(2016年3月31日付記)

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