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26.東海道五拾三次之内 日坂 佐夜ノ中山 :日坂之圖

 前掲「金谷」を出て石畳のある金谷峠を上り、菊坂を下ると鎌倉時代の宿駅菊川宿に出ます。そこからさらに険しい石畳の箭置坂(やおきざか)を上ると子育観音久延寺のある峠に着きます。ここから「日坂」の宿に下る道を「佐夜ノ中山」と言い、東海道難所の一つです。「宇津之山」「大井川」「佐夜ノ中山」と険しい旅が続きます。広重は、その道を進んだところにあった「夜啼石」を構図の中心に持ってきました。道路の中央にあった丸い石で、南無阿弥陀仏の名号が刻まれています。伝説の詳細には諸説がありますが、盗賊に襲われた母親の霊がこの石にこもって、子を思う泣き声が毎晩聞こえるということだそうです。『東海道名所図会』を参考に、急な坂道と丸い石の対比の妙を極端に描き上げたと推測しています。同図会との相違は、谷間から覗く富士山を宝永火口とともに映し出したところです。

 なお、当地が「佐夜ノ中山」と呼ばれる理由ですが、この世とあの世の境界と思われるような難路で、塞(佐夜)の境界(中山)というような意味合いから来ているのではないかと思います。庚申塚や道祖神と同様、ここからはもしくはここは要注意ですよという警告です。谷間から見えた富士山に庶民はほっとしたことでしょう。

Kunisada026_n  広重が、「夜啼石」を見て話し込む旅人達とその急な坂を歩く人達を描いているのに対して、国貞は、その前景に恋文を書く美人を添えています。考案が難しいのですが、おそらく、『嶋田』と同じ趣向で、逢瀬の困難さと峠越えの難儀さとを掛けた美人の風情と思われます。夜毎に、恋の恨みを文しているのかもしれません。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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