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22.東海道五拾三次之内 岡部 宇津之山 :岡部之圖

 「岡部 宇津之山」は、宇津之谷(うつのや)峠のことで、由井の薩タ峠と並ぶ難所として知られています。ここでの趣向は、『伊勢物語』にもつたかえで茂る「蔦の細道」と言われた、歌枕の地を描こうというものです。『東海道中膝栗毛』でも、弥次・喜多が足を滑らせて「腰をうつの山みち」と洒落ていますし、後に、歌舞伎『蔦紅葉宇都谷峠』(つたもみじうつのやとうげ)で殺し(「文弥殺し」「座頭殺し」)の舞台にもなっています。

 広重が実際に描いたのは、かつての古道ではなく、海沿いに開かれた新道で、峠の上に集落が望まれます。それでも、急峻な道であることに違いはなく、岡部川沿いの細い道を樵や山人が一列に下って来るのに対して、下からは旅人と柴を背負う女が上っています。旅人が一人で、あとは地元の人ばかりが描かれているのは、決して安全ではない峠越えという表現なのでしょう。上りの二人の視線は、実景を離れて、背後の黒い山を右に寄せ意図的に作り出された空白に向けられていて、空間的開放感を導き出しています。浮世絵になる風景の典型技法です。

Kunisada022_n  「宇津之山」が難儀な峠ならば、その宿で精をつけるのも当然でしょう、「小田原」と同様の趣向で、酒さかなを用意する宿の美人を国貞は描いています。なお、弥次・喜多も、大井川の川止めで岡部の宿に泊まったとあります。そうとしても、尾頭付きの魚に、蝶々模様のお目出度い着物を着る美人は、何かお祝い事のようにも見え、岡部との関係でやや腑に落ちない部分も残るのですが…。目出度い事跡を勘案すると、「宇津」は「討つ」に通じ、縁起の良い言葉で、しかも、「岡部」となれば、平忠度を討った源氏方・岡部六弥太を想像してしまいます。

 あまり深く考えなければ、難路悪路の峠越えを無事に済ませて、単純に「祝い酒」を酌み交わそうという程のことなのかもしれません。とすると、広重作品は上品に処理していますが、実は、相当困難な峠越え風景を描いていたということになります。ちなみに、一説に、徳川家康は岡部に鷹狩りに来て、田中城(藤枝)で食べた鯛の天ぷらがもとで亡くなったとも言います。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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