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18.東海道五拾三次之内 奥津 興津川 :奥津ノ圖

 広重が、秋里籬島『東海道名所図会』(寛政9年)を制作の下資料にしていることは、一般的に知られるようになってきています。名所図会は、地名・名所・寺社などの沿革を説明した絵入りの通俗地誌で、娯楽的読み物としても庶民に歓迎されていました。「奥津」の作品は、同書の安倍川の図に登場する地方巡業の相撲取りを切り抜いて、ここ「興津川」に持ってきました。痩せた人足や小さく見える馬が体格の良い関取衆を運ぶ滑稽図仕立てと見ることができます。左後方が前回触れた「薩埵嶺」の岩山で、そこを下って「興津川」に至る構図です。背後の松原は、当時の三景の一つ清見潟と思われます。

Kunisada018_n  国貞は、子守をしながら手伝いをする茶店の少女を描いています。人や荷物を背負って川を渡る人馬の姿を、子供をおぶう美人姿に映し出したものであることは、間違いないでしょう。同時に自らの趣向をはっきりさせるため、関取衆を消し去りました。それにしても、関取から赤子への変更はかなり極端です。広重が船の帆を霞む海上から突き出したのに対して、国貞は、水平線の彼方に移動させ、ここでも微妙に修正しています。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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