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16.東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪 :蒲原圖

 前回までで15(5×3)の宿場紹介が終わって、いよいよ、「蒲原」です。当ブログでは、5枚を1単位とする区分けを便宜的に利用していますが、16番目「蒲原」の作品は、実質的にも、第一部から第二部への移行・区切りを示しているかもしれません。その一番大きな理由は、「蒲原」が雪景色であるということです。雪景色は、物の始まりや再出発などを含意し、「次のシリーズがこれから始まりますよ」という宣言のように感じられるのです。もちろん、この考えにこだわるつもりは決してありませんが、いずれにせよ、広重がなぜ「夜之雪」の景としたかは考えなければなりません。

 本作品に関しては、シリーズ最大の傑作と評価されているにもかかわらず、気候温暖な蒲原にこのような雪が降ることはないし、従来の見解として、広重が八朔御馬進献に同道し上京したとしても、季節は夏なので、この図はフィクションに過ぎないなどと言われる始末です。後者に関しては、構成上のアクセント、バリエーションという言い訳も可能ですが。広重作品の蒲原と同じ景色を地元で見つけられないことを前提に、最近では、静岡県の蒲原ではなくて、新潟県の蒲原(郡)を転用したものだという見解もあります。ただし、広重がなぜ転用したのかという問題は残ります。 

 蒲原には、秋里籬島『東海道名所図会』(寛政9年)に記載される、「六本松の故事」と言われる伝説があります。すなわち、岡崎(矢矧)の浄瑠璃姫が源義経を恋い慕ってここまで至り、疲れて死んでしまったのを、里人が憐れみ塚を造り松を植えたそうです。その後、「小野お通」という妓女がその生涯を十二段にまとめ、これに節を付けさせたのが浄瑠璃の中興の初めとなったいうものです。蒲原に「浄瑠璃(姫)の里」というイメージを広重が感じていたとするならば、蒲原の風景には、この浄瑠璃姫の悲哀とその死の情緒が当然に含まれてきます。浄瑠璃姫が義経から貰った「薄墨の笛」、あるいは雪国「奥州への旅立ち」などを念頭に、墨絵風の雪景色が創作されたと見るのです。雪の持つ、死と再生の観念は、物語の表現として相当に有効であると思われます。なお、三代豊国、国芳、広重の合作『東海道五十三對』の蒲原では国芳が、岡崎では広重が、それぞれ浄瑠璃姫の古譚を浮世絵としています。 

Kunisada016_n  広重の作品は、初摺りでは黒の一文字天ぼかしでしたが、後摺りでは地ぼかしに変更され、副題の「夜之雪」らしくなりました。国貞は、その広重の後摺りの景色を背景にして、雪の峠越えでしょうか、牛の背に乗る美人を描きました。着物の柄は麻の葉模様で年の若い娘風です。矢矧の長者の娘、浄瑠璃姫のイメージと見たいところです。前出「大磯」の雨は、虎御前の雨でした。「蒲原」の雪は、浄瑠璃姫の雪です。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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