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15.東海道五拾三次之内 吉原 左富士 :吉原圖

 前回が「朝之富士」、そして今回は「左富士」と富士の景が続きます。当然、広重は北斎の『冨嶽三十六景』を意識していますから、北斎とは異なる趣向を目指しているはずです(広重「箱根 湖水圖」参照)。

 海岸線に沿って進んできた東海道は一旦「吉原」で北上し、左に富士、右に愛鷹山が見えてくる場所があります。古来よりの名所で、その松並木の道を三人の子供が馬に乗って旅をしている情景が主題となっています。東海道にしては、道幅がやや狭いのではないかと気になりますが、その道での馬の乗り方は「三宝荒神」(さんぽうこうじん)と呼ばれる特徴的なスタイルです。鞍の形が三連の竈(かまど)に似ているので、竈(火)の守り神に掛けて命名され、伊勢参りの一方法として利用されたものです。比較的お金に余裕のある旅姿と言えましょう。子供達の先には、やはり、賃金の高い乗尻(のりしり)の旅模様が描かれています。北斎の富士が「富士講」と深く結びついていたのに対して、広重は敢えて「伊勢講」を持ってきました。ここに、両者の趣の違いが表れています。

Kunisada015_n  国貞は、番所の木札を下げ、喜捨を受ける柄杓を持つ、巡礼姿の美人を描いています。宝尽くしの柄の振袖の上に、笈摺という白木綿の袖なしの衣を羽織って、背に茣蓙を背負っていますが、美人図ですので、質素な姿というわけにはいきません。

 ちなみに、広重も国貞も、「赤富士」仕立てになっています。これは、伊勢神宮の主神・天照大神(日=太陽)を意識したものと考えています。また、吉原の宿場がことさら伊勢参りと結びつく理由はないと思われますが、これは、北斎がすでに採り上げた富士参りとの棲み分けを意識して、広重がこのように「考案」したものと推測します。

*掲載作品は、国立国会図書館蔵です。

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