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冨嶽三十六景・表富士(2)

 引き続き、『冨嶽三十六景』をシリーズとして見通してみます。とくに広重を意識すると明らかになるのですが、雨と月の作品がないことに気付きます。富嶽シリーズの中心思想は、赤富士に象徴されるように、富士講信者の日神信仰を第一としています。富士登山とご来光の遙拝、富士塚での大日如来の祭祀などの事実を受けています。一方で、富士火山の噴火を鎮める水神信仰の歴史も古く、湖沼、川、海から富士が眺望できる地に古くから浅間神社、水神祠などが祀られている事実を受けて、黒富士が描かれています。富士の日神と水神としての役割の軽重はどうであるかですが、黒富士が「山下白雨」と題されているように、頂上は快晴ということで調和が図られ、水神だけでなく、おそらく、諸々の神々が日神世界に包まれているという世界が前提にされているのだと思われます。

 したがって、日神の「晴れの富士」世界が根幹であり、「雨の富士」や「月の富士」が避けられていると見るべきでしょう。これは、当該シリーズが単なる風景画の発想で構築されているのではないことを意味しています。風景画の発想ではないということでは、さらにおもしろい観点を発見しましたので、以下に紹介しておきます。

Shishin  四神(色)という考え方があります。北は玄武で、その色は黒、要素は水となります。南は朱雀で、その色は赤、要素は火となります。西は白虎で、その色は白、要素は金となります。そして東は青龍で、色は青、要素は木となります。

 さて、赤富士は、赤で南の朱雀です。黒富士は、黒で北の玄武です。ところが、作品の題名に注目すると、「凱風快晴」は、快晴の青で東の青龍となります。「山下白雨」は、雨の白で西の白虎となります。つまり、この二作品には、四神の世界を創りあげようとの意図があることが判ります。東と南の二神で、「凱風快晴」を、西と北の二神で、「山下白雨」をそれぞれ創作しているのです。このような意味でも、富嶽シリーズは、単なる風景画作品ではないのです。

 ちなみに、雷神は金属神と言われますから、金の要素の絵「山下白雨」に加えられるには相応しいと言えます。また、木の要素に注目すれば、「凱風快晴」の富士の麓は緑の木々に覆われています。いずれも、偶然とは思えない選択です。ともかく、富士が信仰の山であったことを考えると、それを描いた『冨嶽三十六景』の解説が、風景表現の説明だけで終わることが少なくない現状には、いささか不満を抱いています。

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