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冨嶽三十六景「武州玉川」

Hokusai10 近景の岸辺、中景の玉川、遠景の富士という三層の景色を繋ぎ合わせたシンプルな構図です。そこに渡し場があり、渡し船が対岸に進み、手前では馬子が荷物を運んでいるようです。川は多くの場合、村や国の境を成していますから、本作品は「結界(境界)の富士」図に該当します。また、川に架かる橋や渡し船は、此岸と彼岸を結ぶものとして、象徴的意味を持たされることが多いと言えます。

 当ブログでは、北斎は、富嶽シリーズで庶民生活と富士(神霊)世界とを強く結びつけて描いているという立場です。とすると、「武州玉川」では、渡し船や馬子などは、富士とどう結びついているのでしょうか。ここで重要な役割を果たしているのは、中景の玉川の表現です。すやり霞によって、玉川の対岸が隠されているので、濃い藍色の波立つ川の流れの部分と遠景の富士の山腹の藍色の部分が繋がり一体となっているように見えます。つまり、玉川の流れだと思っていたところが、富士の山裾の一部となっており、逆に富士と思っていたところから、玉川の水が流れ出してくるようにも見えるのです。

 渡し船は、富士の山腹を進んでおり、馬子は富士の裾野を歩いているのです。玉川のこんな奇景を、北斎は日常の中に見つけ出しました。「武州玉川」が富士そのものであることが判れば、そこに生活する庶民は、自ずと富士世界に包容されていることが理解されましょう。富嶽シリーズでは、中景の曖昧さや両義性が非常に有効に使用され、これによって、本来は異なる近景と遠景とが連続的に一つの絵になっているのです。

 富士神霊を水神と見れば、ごく自然な理解だとは思うのですが。さらに、流れる川の部分全体に空摺りが入れてあるのも、玉川の神秘性の表現と見て取れます。単純な構図だけに、これまで、本作品の正確な意味は理解されてこなかったのではないでしょうか。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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コメント

このような素晴らしいブログを知らずにいて後悔しきりです。
私は北斎の「狂歌絵本」が好きなのですが、このところ三十六景を眼にする機会が増え、「武州玉川」の場所が気になりだしました。
調布あたりという説の根拠は何なのでしょう?
田園調布の自宅の近く「大田区・東急多摩川駅そば浅間神社の境内」から眺めた富士とは考えられませんか?
鎌倉時代に創建された神社で、富士の熔岩もあります。
多摩川の河原に葦原を再生しようと自然保護運動もやっており、尚更、そう思いたいのですが・・。

投稿: 狂花 | 2013年7月31日 (水) 14時41分

 北斎の『冨嶽三十六景』に関するブログを閲覧してくださる方は少なくないのですが、富士山の文化遺産登録以来、さらにその数は増えているようです。富士山の文化遺産としての側面が再評価されたことは、北斎作品の理解にも良い影響があるように思われます。

 北斎が作品をどの場所から描いたかを考える視点として、富士信仰の祠や富士講施設などは、従来、見落とされがちでした。その意味で、各地域の浅間神社、富士塚、富士に因んだ地名地などを候補の一つとして検討することは、私も重要と考えます。だだし、その場所に生活する人でないとなかなか気づかないことが多いようですけれど。

投稿: カワちゃん | 2013年8月 1日 (木) 11時24分

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