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冨嶽三十六景「青山圓座枩」

Hokusai06  龍岩寺の庭中にあった笠松と富士とを対照させる作品です。青山からはこれほど大きな富士は見えないので、北斎は、何か意図があって、富士と円座の松とを競い合わせたと考えられます。一般には、鋭角的富士の三角と円座の松の丸とを対比させる構図性にその理由を求めています。

 当ブログの一連の解説から想像はつくと思いますが、円座の松を三角形(△)の富士塚と見るか、丸(○)の富士神霊の当体と見るか、いずれにしても、手前の景色に富士世界が展開していることを気付かせるための工夫です。しかしながら、富士の姿を大きく描いた結果、富士が龍岩寺の中にある築山のようになっています。富士の麓の愛鷹山が松葉の如く描写されていることも、そのような見方を強めているのかもしれません。

 遠くの富士が松から顔を出す築山なのか、近くの円座松が富士なのかという対照から、結局は、円座の松は富士世界を具現化する存在にされています。近景に手拭いを引っ張って登ってくる親子風の二人がいます。左手と視線の先は、円座の松を通って富士に向けられています。これは、浮世絵を見る者には、視線を送る人物の足場に富士神霊が降臨していることを感じさせます。酒宴を開く者は、富士の頂上にいる気分でしょう。

 よく見ると、左の松の枝の中に、箒をもって掃除をしている人物の足があります。彼が富士世界に抱かれていることは多言を要しないでしょう。ここに、富士信仰の具体化を見る思いです。また、松に箒とくると、老夫婦が互いの長寿を愛でる、高砂の松の古譚を思い起こしますが、あるいは、富士の松と円座の松とが相生の松とでも言っているのかもしれません。そうすると、さらに富士と円座の松とには、一層深い関連があることとなります。このようにいろいろと読み解きが可能であるということは、この作品が、富士を観察して描いた単なる風景描写ではないということを意味しています。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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