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冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」

Hokusai01  久しぶりに日本に台風が上陸した日に「浪」をテーマにするのも、何かの縁でしょう。この作品の芸術的評価に関しては、先人の多くの言があるので、ここでは触れません。当該ブログの視点に従って、富士信仰に関する分析をいくつか述べてみます。

 近景左手に、富士に相似する三角の波が描かれています。その手前に押送船が進んでいます。その波の奥のもう一艘の船は、崩れ落ちようとする大波に向かっています。そして、一番奥の船は遠景の富士の前を進んでいますが、近景から視点を移動させて行けば、その富士は実は波の一つと見えるのです。逆に、遠景から視点を手前に移動させれば、手前の三角の波は、海上の富士なのです。こうして、押送船は富士世界の中を進んでいることが視覚化されてきます。

 富士が遠くに鎮座し、大自然の厳しさと無力な人間を描いているのではなく、荒波を突き抜ける船とそれを操る人々のすぐ側に富士はあり、富士神霊に抱かれている日常を表現しているのです。富士信仰は浮世の信仰ですので、彼岸に富士があったのでは庶民には力になりません。同じ此岸にあって初めて、庶民は富士を体感できるはずです。

 というわけで、手前の三角の波は富士神霊を船上あるいは海路に降臨させるための技法というわけです。また、遠方の波のように見える富士は、富士を神聖なだけの存在ではなく、日常の形態に変じさせ、庶民が体感できる存在としたものなのです。富嶽シリーズにおいて、三角形(△)を応用する最高傑作です。

 さて、左手から右手に崩れようとしている大波は、遠方の富士を中心に円運動をしているかのように描かれています。「尾州不二見原」で述べましたが、丸い桶に添って立木が描かれ、そこには丸(○)で表現される富士神霊の当体がありました。「神奈川沖浪裏」でも、同じ絵組みが採用されているのです。すなわち、暗示される大波の円運動は、そこに富士神霊の当体があることを物語っているのです。つまり、本作品は、三角だけでなく、丸をも構図の柱にして、富士信仰の世界を具象化しているということができます。

 北斎が「神奈川沖浪裏」を選んだのは、富士がこの世に出現する前、「神の側」(神の世界)にあって、いよいよ海上から生まれてくる瞬間を描こうとの意図があってのことだと思うのですが…。富嶽シリーズにおいて、「神奈川沖浪裏」を最初の作品とするのが、最近の研究成果です。最初の作品が「誕生」をテーマにし、シリーズ最後の「諸人登山」が「再生」をやはりテーマにしていると考えると、その構成にはかなり一貫性があると考えられます。ただし、その点については、改めて触れる予定です。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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