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冨嶽三十六景「尾州不二見原」

Hokusai09  「深川万年橋下」の説明に際して、北斎は、橋を鳥居に見立て富士(神霊)世界を江戸深川の下層に描き上げたと述べましたが、あわせて、日輪に見立てた可能性もあることを指摘しておきました。実は、それは、「尾州不二見原」の解説に繋げていこうと考えていたから、敢えて触れたのです。

 富士信仰においては、富士に登山し、ご来光を仰ぎ見て帰途につくことが重要でした。そのため、富士神霊を日神に同一視していたと思われ、たとえば、北斎の『冨嶽百景』の最初の頁にも、木花開耶姫命が右手に日輪を象徴する御神鏡を持って描かれています。したがって、富嶽シリーズにおける丸(○)は、富士神霊(日神)そのもの、もしくは木花開耶姫命の日輪の御神鏡を表現するものと受け取れるのです。

 美術的解説として、相似する三角の使用は構図を安定させ、三角と丸の使用は両者の対立を際立たせると言われています。そのことは否定しませんが、それによって、浮世絵の面白さや意味は何も説明されるものではありません。そこで、丸や円を使用する浮世絵の絵解きとして、「尾州不二見原」を解説してみましょう。

 富嶽シリーズでは、近景の庶民生活に視点があるということが出発点です。とすると、近景で桶職人が無心に仕事をしており、その空間が丸く縁取られていることに深い意味があるのです。その空間の中には、富士と職人とが一緒に存在するのですが、それは、この浮世絵を見る者に、富士神霊本体に職人が包まれていると感じさせるのです。庶民生活の中に富士世界が具現化する瞬間を、私たちは北斎によって教えられたのです。これは、まさに、富士信仰の世界を絵にしたものと言えましょう。

 以上に述べたように、丸や円を富士神霊の本体(日神)と理解すると、富士の三角とたとえば桶の丸とは、形象の上では対立する関係かも知れませんが、本質的には、同意義な協働関係にあることがわかります。また、中景に描かれる木立が桶に添って立っています。富嶽シリーズではこの構図が何度か使用されていて、そこに富士神霊の本体が隠されていることが同時に明らかになっています。

 さて、丸(○)の秘密が読み解けてきた今、これ以後の富嶽シリーズの読み解きがさらに期待されるではありませんか。(自画自賛。)

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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