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冨嶽三十六景「江戸日本橋」

Hokusai26  徳川幕府の都市計画の真髄を見せる風景です。日本橋川の両岸に並ぶ蔵が透視遠近法で描かれ、その消失点・一石橋から上に、千代田城、富士を積み重ね、その部分については東洋的三分的遠近法に従っています。また、川の右岸の蔵並は、厳格には透視遠近法には従わず、途中で建物がスケールアップして東洋的遠近法との折衷と言えます。

 画法はともかく、日本橋からの典型的眺めであって、多くの浮世絵師も描いている、いわば官製の風景です。ただし、子細に観察してみると、右岸の船の舳先は、千代田城ではなくて、富士に向いているようです。この辺りに、富士と庶民生活を強く結びつけようとする北斎の意図の片鱗を発見できるのですが、手前に描かれる、日本橋の上を行き交う庶民と富士とが何となくよそよそしく映ります。なぜなら、橋の上の人々は、富士を見るわけでもなく、といって城に目を向けるわけでもないからです。

 そもそも、日本橋は擬宝珠以外ほとんど描かれていないのです。「深川万年橋下」と対比すると、言わば「日本橋上」とでも名付けたほうがよいような作品です。富士(神霊)世界は、下町の橋の下にこそあって、御上の橋の上にはないとでも言うのでしょうか。はじめは私もそのように理解しつつも、四民平等を謳う富士信仰を絵画的に表現する冨嶽シリーズにはいささかそぐわないとも感じていました。

 そこで、もう一度作品を見直してみましょう。そうすると、近景の雑踏の庶民を底辺に、日本橋川の石垣が二辺を成して、大きな富士に相似する三角が発見されます。船上の人々、荷物を積み降ろす河岸の人々、そして橋の上の人々も、そのほとんどがこの三角に収まってしまうのです。庶民生活が富士世界に包摂されていることが、絵画的に明確に表現されています。おそらく、冨嶽シリーズ中、最大の浮世に見つけられた三角(△)だと思われます。こうして、「日本橋上」にも、富士(神霊)世界があることが判ります。

 富士が遠くから庶民生活を見守っているどころか、庶民が富士の一辺(底辺)を形作っているというのが、北斎のメッセージなのだと思います。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「武州玉川」

Hokusai10 近景の岸辺、中景の玉川、遠景の富士という三層の景色を繋ぎ合わせたシンプルな構図です。そこに渡し場があり、渡し船が対岸に進み、手前では馬子が荷物を運んでいるようです。川は多くの場合、村や国の境を成していますから、本作品は「結界(境界)の富士」図に該当します。また、川に架かる橋や渡し船は、此岸と彼岸を結ぶものとして、象徴的意味を持たされることが多いと言えます。

 当ブログでは、北斎は、冨嶽シリーズで庶民生活と富士(神霊)世界とを強く結びつけて描いているという立場です。とすると、「武州玉川」では、渡し船や馬子などは、富士とどう結びついているのでしょうか。ここで重要な役割を果たしているのは、中景の玉川の表現です。すやり霞によって、玉川の対岸が隠されているので、濃い藍色の波立つ川の流れの部分と遠景の富士の峰の藍色の部分が繋がり一体となっているように見えます。つまり、玉川の流れだと思っていたところが、富士の峰の一部となっており、逆に富士と思っていたところから、玉川の水が流れ出してくるようにも見えるのです。

 渡し船は、富士の峰を進んでおり、馬子は富士の裾野を歩いているのです。玉川のこんな奇景を、北斎は日常の中に見つけ出しました。「武州玉川」が富士そのものであることが判れば、そこに生活する庶民は、自ずと富士世界に包容されていることが理解されましょう。冨嶽シリーズでは、中景の曖昧さや両義性が非常に有効に使用され、これによって、本来は異なる近景と遠景とが連続的に一つの絵になっているのです。

 富士神霊を水神と見れば、ごく自然な理解だとは思うのですが。さらに、流れる川の部分全体に空摺りが入れてあるのも、玉川の神秘性の表現と見て取れます。単純な構図だけに、従来より、本作品の正確な意味は理解されてこなかったのではないでしょうか。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「御厩川岸より両國橋夕陽見」

Hokusai32  隅田川の東岸から両国橋の向こうに、夕暮れ時の富士を見る作品です。墨の天ぼかしが画面を引き締め、残照に照らされる富士の陰影が効果的に描かれています。多くの解説によって、船頭の禿頭を中心に、両国橋と渡し船とが点対称になっていることが指摘されています。北斎にしては珍しく情緒が感じられる作品です。

 近景に富士(神霊)世界を描くのが冨嶽シリーズの主題であるというのが、本ブロブの視点でした。この見地からすると、近景の渡し船を中心とした庶民生活は、どのようにして富士世界と結びつくのでしょうか?大きなヒントは、両国橋と渡し船とが点対称になっているという従来からの指摘です。北斎が敢えてこのような構図を取り入れたのは、絵画技術の問題からではなく、一定のメッセージが含まれていると思うのです。

 背後の両国橋は、直接富士に繋がっているように描写されています。したがって、点対称である渡し船も富士に繋がっているという含意がそこにあるのです。北斎は、この意を明確にするために、船頭を含め渡し船に乗っている者の視線を富士に向けさせました。それによって、本作品を見る者は、富士とこの渡し船とが結ばれていると理解するのです。船頭の持つ魯と船体後部とで小さな富士の三角(△)を作っているのも、それをさらに補強しようとしているのかもしれません。

 両国橋という名によって、此岸と彼岸を結ぶ架け橋のイメージが一層強められますが、その橋と同じ役割を渡し船も担っているからこそ、点対称という絵組みで描かれているのです。一見すると、船上の人々は遠くに夕景の「彼岸の富士」を眺めているようなのですが、じつは、此岸で直接富士世界に触れているのです。それは、船上の蛇の目傘の丸においても再確認されます。冨嶽シリーズでは丸(○)は富士神霊の当体を表していました。「深川橋万年橋下」において、橋の上に描かれた富士と同系色・藍色の傘の丸の役割を思い起こして欲しいのです。

 これは奇策ですが、思い切って本作品を逆さまにして見てみると、船の櫓と手前にある民家の屋根とが渡し船に繋がる富士の三角を作っており、その三角の中で女性が洗濯をしていることに気付きます。この女性こそ、此岸の木花開耶姫に違いありません。船上で一人の男が手拭いを川の水に濡らしているのも、浮世の木花開耶姫との繋がりを表すものです。

 それにしても、渡し船の乗客には、船先の渡世人風の者、長い鳥刺し棒を持つ人物、按摩等々、そして山に三つ巴という版元永寿堂の商標紋の風呂敷包みを背負う男など、興味のある人物像が描きこまれています。でも、みんな等しく富士(神霊)世界に抱かれているのですよ、という声がどこから聞こえてくるような気がします。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「東海道吉田」

Hokusai23  不二見茶屋からの富士眺望の図です。「礫川雪ノ且」と似たモチーフで、富士を「見下ろす」構図の一類型かもしれませんが、富士見窓の風景が一幅の絵のようになっているところが本来の狙いです。また、その前の席で、富士を見る美人二人まで含めて一枚の絵と見ることができます。

 指をさして案内をする茶店の女将と美人の視線を通して、浮世絵を見る者は富士と結びつき、富士世界を茶店の中に見ることができます。二人を乗せてきた駕籠かきが草鞋を木槌で打って柔らかくし、また汗をぬぐう様や、反対側の旅人二人が腰掛けてくつろぐ様子も含めて、富士(神霊)世界ということができます。以上を茶店の入り口の柱が額縁のように切り取り、いくえにも重なる画中画のようになっています。画中画の目的は、あくまで近景の庶民生活を富士世界に取り込むための方法であって、その絵組みだけを面白がっているのではないと考えています。

 お店の看板には、名物の宣伝として、「お茶つけ」「根元吉田ほくち」とあります。火口(ほくち)は火打ち石の火を受けるもので、火口に富士見茶屋の美人というのは、富士火口の木花開耶姫を想起させます。そんな事情もあって、「東海道吉田」は女性達を中心とした構成になっているのかもしれません。

 なお、手前の旅人の持ち物・服装などには、版元西村屋・永寿堂(永・壽・山に三つ巴)の商標が仕組まれています。販売目的の浮世絵の性格がよく出ています。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「隅田川関屋の里」

Hokusai27  「東海道程ヶ谷」は松間の富士でした。それに続いて、本作品は松枝から覗く富士です。近景から中景にかけて、三騎連れだって騎乗疾走する武士の旅姿は、連続写真のような描写として有名です。手前右手にある高札場は、共に千住宿を構成する千住町と掃部宿(関屋)との間にあり、「東海道程ヶ谷」と同様に「結界(境界)の富士」に位置づけられる作品です。

 境界を越えて、(最近の研究で)熊谷堤道と考えられている街道に至ると、富士が松枝の間から見えるという絵組みで、「東海道程ヶ谷」と見比べれば、その同じ趣向はよく理解できることでしょう。なお加えれば、中景の松と高札場背後の木の枝とで額縁のように富士を捉えているのかもしれません。今まで紹介してきた作品とは異なって、騎乗の武士と富士を繋ぐ構図上の糸が、いまいち弱いように感じるのですが、思い過ごしでしょうか。

 実は、本作品では、描かれている富士が「赤富士」である点が重要です。「赤富士」については別に詳しく述べたいと思いますが、冨嶽シリーズの「役物」と言われる「赤富士」が、唯一描かれているのが「隅田川関屋の里」なのです。題名となっている関屋の里は、富士講の重要拠点の一つ、千住にある地です。千住の地から「赤富士」が見えるという作品構成は、明らかに冨士講の人々を意識したものだと思われます。構図的には富士と近景との結びつきが弱いのは、色彩の「赤」富士によって、千住と富士とを直接結んでいるからにほかありません。

 早朝の「赤富士」と領国に急ぐ早馬の景と解説されることが多いのですが、千住から早朝に赤い富士が見えるのでしょうか。見える、見えないにしろ、「千住(関屋の里)の赤富士」であることが富士信仰上重要なのでしょう。もしそうならば、風景画や名所絵の範疇を越えてしまいますが。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「東海道程ヶ谷」

Hokusai30  この作品は、もっと前に紹介しても良かったかもしれません。なぜなら、松間の富士に似た構図をすでにいくつか解説していたからです。たとえば、「武州千住」では、水門の柱が二本対になって四組・計八本立っていますが、本作品でも、二本ずつの松が四組・計八本立っています。そこから覗く富士の絵組みは、富士神霊の在りどころを示す、鳥居見立ての構図として説明できるからです。

 また「武州千住」では、画中の人物が富士に視線を送っていました。本作品でも、馬子が富士に視線を送り、富士と東海道保土ヶ谷(品野坂)とを結びつけています。こうして、浮世絵を見る者は、道中、富士との一体感を持つことができると思うのです。

 一方、先の「武州千住」とは異なるところがあります。それは、諸国や道中を描く際の北斎の特長として、庶民信仰の施設が加えられているところです。すなわち、本作品では、近景の右側に、庚申塚(青面金剛)の石像が描かれ、虚無僧が見上げているようなのです。これは、村や国境に建てられる一種の結界で、村内・国内を守り、また旅の安全を守ってくれるものです。本作品の場合では、武蔵と相模の国境と思われますので、武蔵を離れ、その結界地に立った瞬間、もうすでに富士と出会い、富士と共に旅を送ることができる安心感を絵の趣向としているのです。前回の「駿州江尻」の祠もそのような役割において描かれていたのでしょう。

 本作品で、女性の乗る駕籠の駕籠かきが草鞋を直しているのも、富士世界に守られている安心感を醸し出す工夫です。河村岷雪『百富士』「程ヶ谷」からの着想という指摘もありますが、富士信仰を絵画表現するものであって、視点が異なります。つまり、「新規の工夫」があるということです。ちなみに、尻に鈴を付けた馬には、版元永寿堂の商標(山に三つ巴・壽)が入れられており、本作品が商用の浮世絵であったことを再認識する次第です。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「駿州江尻」

Hokusai19  一瞬の突風によって旅人の懐紙や菅笠が舞う様を、連写撮影のように描く傑作です。しかしながら、その点に比重を置きすぎた解説が多く、これだけでは、北斎の意図を十分に説きつくしてないように思われます。冨嶽シリーズ中、富士の峰は左右均等か、あるいは左側の峰が長く描かれるのが通例です。ところが、向かって右側に長く峰が描かれているのは、本作品と「甲州石班澤」位のものです。当然、そこには北斎の隠された意図があると考えられます。(「甲州石班澤」参照。)

 菅笠を飛ばされた旅人の担ぐ天秤棒の荷物は、風の力で浮き上がっています。懐紙が飛ぶのは当たり前、それ程の強風なのです。富士の右峰の麓の藍色の山々も吹き飛ばされそうに見えませんか。かろうじて、富士の峰に引っ張られて飛ばされまいとしているのです。そのため、富士の右峰は延びてしまったかのような表現とされています。富士の頂上付近を手などで隠してしまえば、木に結ばれた綱に布が引掛かっているようにさえ見えます。

 富士も、自身あるいは麓の山々を飛ばされまいとがんばり、旅人も、自身や持ち物などを強風に飛ばされまいと一生懸命、この両者の「姿の相似性」が本作品の主題なのです。つまり、同じ姿のものには、同じ精神が宿るという思考によって、近景に展開しているこの旅の日常も、富士神霊の世界の一端となるのです。形象として富士に相似する三角(△)を使用せずとも、富士前面に富士神霊の世界を具現させることができます。「うろたえる人々と泰然とした富士」との対比ではなく、両者共にひるまず生きている「同じ姿」を北斎は描いているのだと思われます。

 見落とされがちですが、作品の中央付近、白い水面の「婆が池」の傍らに祠が描かれています。東海道江尻宿の西方にある池の祠か、もしくは道祖神の祠のように見えますが、街道を題材にした作品においては、このような庶民信仰の施設が描かれることが多く、北斎は、一つには、その信仰施設を富士の依代として使用している節があります。もう一つには、旅が土地の神仏との出会いと別れであることを示して、土地の神仏から離れても、富士は常に庶民の傍らにいることを明らかにする目的として描き入れているようです。(別の作品で、再び触れます。)

 一本線で描かれた富士には緊迫感、緊張感はありますが、力強さはとくに感じられません。あまりに超然とする富士では、庶民信仰の懐の内には入れないので、この程度の富士表現で良いのだと思われます。なお、近景に立つ二本の木立は、右に傾いています。もちろん、風の表現ではありますが、祠を中心にここに富士神霊の当体である丸(○)が見えません?この強風は、富士神霊の当体と庶民がいきなり出会ってしまった結果なのかもしれません…

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「礫川雪ノ且」

Hokusai21  小石川の小高い丘の上にある茶屋からの雪見風景です。浮世絵を見る庶民には、茶屋から富士を「見下ろす」構図として映っています。したがって、茶屋周辺を富士頂上世界に見立てる作品であることは、既述した説明から理解していただけると思います。

 富士頂上の雪と小石川の早朝の雪とを対照し、ともに雪に覆われた富士の神霊世界であることを表現しています。この一瞬、小石川の茶屋の地は、富士頂上(神霊)世界となり、茶屋の客達もその世界に包容されているのです。

 近景が雪景色である作品は、冨嶽シリーズでは当該作品が唯一です。雪景色は、神聖さや荘厳な雰囲気を描写する際に使用されることが多く、また、場を一新するという時にも利用されます。本作品は、冨嶽シリーズでは、藍摺り十枚の版行が終わって、ちょうど後半部分の最初の一枚目という位置にあります。そこで、北斎は、これから後半の版行が始まることもあって、雪景色でお色直しを図ったと考えられます。

 詳細に作品を見ると、茶屋の中の女が指す方向に小さく三羽の鳥が描き込まれています。雪積もる茶屋と富士とを仲介する存在として見事に使われています。近景の茶屋から出発する視線は、大空に舞う鳥に行き着き、そして富士に落ちていきます。富士の神霊は、逆に、鳥を経由してあるいは鳥となって、小石川の地に降臨してくるようにも感じられます。空に舞う鳥などを、神霊や魂の飛翔とも感じる日本人の心理を思い起こしていただきたいと思います。前回の「下目黒」の鷹も、このようなコンセプトから分析できるかもしれません。

*掲載の資料は、アダチ版画です。 

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冨嶽三十六景「下目黒」

Hokusai22  窪地に富士を「見下ろす」構図です。先の「東都駿臺」と同じ絵組みであることは、すぐに判ると思います。したがって、富士の頂上世界を下目黒の地に見るという趣向です。特徴の一つは、画中左の中景に農夫が鍬を担いで坂を登っている部分です。「東都駿臺」にも、同じ部分に人物二人が坂を上下していました。富士よりも高いところに人を描いて、近景に富士頂上世界を展開するための工夫です。

 中央右寄りに二人の鷹匠と跪(ひざまず)く農夫が描かれています。下目黒の地が幕府の御鷹場であったことを示唆すると同時に、鷹という鳥に富士山頂と見なされた当地の高さを物語らせようとしているのではないでしょうか。近景中央の藁葺き屋根の小屋の前には、鍬を持ち、子を背負う農家の女と手伝いの子供が立っています。浮世の富士世界を描く際、北斎は、敢えてこのような人物を配して、女人禁制の富士とは異なる平等世界というものを見せているようです。

 なお、右手丘陵の畑地に生える松のやや左への傾きは、富士神霊の当体がこの画中の空白部分にあることを暗示させる、北斎考案の手法でしょう。この牧歌的な農村風景こそが、富士信仰の世界を具現化させるものなのです。逆に、富士がこの丘陵のこぶの一つに見えてくるではありませんか。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「東都駿臺」

Hokusai05  富士(神霊)を近景の庶民生活に引きつける方法として、富士に相似する三角(△)、富士(神霊)の当体の丸(○)、御柱・鳥居などの依代、そして視線の流れの使用等を挙げることができます。その他にも北斎が利用している方法は何かないかと言いますと、これから紹介する「東都駿臺」に使われているものがあります。

 当該作品は、富士を坂の上から「見下ろす」構図を採用するものです。幕臣の屋敷が多く、その甍の波が続く駿台から頭を覗かせる富士を描き、近景の右手には、その富士よりも高く、瓦屋根の二階屋を描き加えています。この絵組みの特徴は、近景が富士山頂と同じか、あるいはそれより高いという印象を与える効果を狙ったものです。つまり、近景を富士山頂世界と同一視している点が重要です。

 もう少し細かく見ると、大きな荷物を背負って坂を登る商人風の男が手前におり、頭に三角の扇子を翳しています。この三角を富士だとは言いませんが、これは左手上方からの日差しがあることを表しています。富士山頂と同じ、日神の日差しを受ける世界が近景に展開していることの象徴です。その男の右にも、日除けの下で商いをしている風の人物が覗いています。駿河台の対岸の坂の上に、富士神霊世界が存在していることを物語っているのです。

 中景の所に大木が右に傾いて立っています。何となく、「神奈川沖浪裏」の大波のように見え、あるいはそこに富士神霊の当体(丸)が隠されているのかもしれず、私は「海上の浪」に対して、「地上(甍)の浪」図と呼んでいます。それはともかく、供を連れる武士、巡礼者、行商人、手代など、近景にいる人々に当たる日差しは、間違いなく、富士神霊世界のものだと思われるのです。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」

Hokusai01  久しぶりに日本に台風が上陸した日に「浪」をテーマにするのも、何かの縁でしょう。この作品の芸術的評価に関しては、先人の多くの言があるので、ここでは触れません。当該ブログの視点に従って、富士信仰に関する分析をいくつか述べてみます。

 近景左手に、富士に相似する三角の波が描かれています。その手前に押送船が進んでいます。その波の奥のもう一艘の船は、崩れ落ちようとする大波に向かっています。そして、一番奥の船は遠景の富士の前を進んでいますが、近景から視点を移動させて行けば、その富士は実は波の一つと見えるのです。逆に、遠景から視点を手前に移動させれば、手前の三角の波は、海上の富士なのです。こうして、押送船は富士世界の中を進んでいることが視覚化されてきます。

 富士が遠くに鎮座し、大自然の厳しさと無力な人間を描いているのではなく、荒波を突き抜ける船とそれを操る人々のすぐ側に富士はあり、富士神霊に抱かれている日常を表現しているのです。富士信仰は浮世の信仰ですので、彼岸に富士があったのでは庶民には力になりません。同じ此岸にあって初めて、庶民は富士を体感できるはずです。

 というわけで、手前の三角の波は富士神霊を船上あるいは海路に降臨させるための技法というわけです。また、遠方の波のように見える富士は、富士を神聖なだけの存在ではなく、日常の形態に変じさせ、庶民が体感できる存在としたものなのです。冨嶽シリーズにおいて、三角(△)を応用する最高傑作です。

 さて、左手から右手に崩れようとしている大波は、遠方の富士を中心に円運動をしているかのように描かれています。「尾州不二見原」で述べましたが、丸い樽に添って立木が描かれ、そこには丸(○)で表現される富士神霊の当体がありました。「神奈川沖浪裏」でも、同じ絵組みが採用されているのです。すなわち、暗示される大波の円運動は、そこに富士神霊の当体があることを物語っているのです。つまり、本作品は、三角だけでなく、丸をも構図の柱にして、富士信仰の世界を具象化しているということができます。

 北斎が「神奈川沖浪裏」を選んだのは、富士がこの世に出現する前、「神の側」(神の世界)にあって、いよいよ海上から生まれてくる瞬間を描こうとの意図があってのことだと思うのですが…。冨嶽シリーズにおいて、「神奈川沖浪裏」を最初の作品とするのが、最近の研究成果です。最初の作品が「誕生」をテーマにし、シリーズ最後の「諸人登山」が「再生」をやはりテーマにしていると考えると、その構成にはかなり一貫性がある考えられます。ただし、その点については、改めて触れる予定です。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「青山圓座枩」

Hokusai06  龍岩寺の庭中にあった笠松と富士とを対照させる作品です。青山からはこれほど大きな富士は見えないので、北斎は、何か意図があって、富士と円座の松とを競い合わせたと考えられます。一般には、鋭角的富士の三角と円座の松の丸とを対比させる構図性にその理由を求めています。

 当ブログの一連の解説から想像はつくと思いますが、円座の松を三角(△)の富士塚と見るか、丸(○)の富士神霊の当体と見るか、いずれにしても、手前の景色に富士世界が展開していることを気付かせるための工夫です。しかしながら、富士の姿を大きく描いた結果、富士が龍岩寺の中にある築山のようになっています。富士の麓の愛鷹山が松葉の如く描写されていることも、そのような見方を強めているのかもしれません。

 遠くの富士が松から顔を出す築山なのか、近くの円座松が富士なのかという対照から、結局は、円座の松は富士世界を具現化する存在にされています。近景に手拭いを引っ張って登ってくる親子風の二人がいます。左手と視線の先は、円座の松を通って富士に向けられています。これは、浮世絵を見る者には、視線を送る人物の足場に富士神霊が降臨していることを感じさせます。酒宴を開く者は、富士の頂上にいる気分でしょう。

 よく見ると、左の松の枝の中に、箒をもって掃除をしている人物の足があります。彼が富士世界に抱かれていることは多言を要しないでしょう。ここに、富士信仰の具体化を見る思いです。また、松に箒とくると、老夫婦が互いの長寿を愛でる、高砂の松の古潭を思い起こしますが、あるいは、富士の松と円座の松とが相生の松とでも言っているのかもしれません。そうすると、さらに富士と円座の松とには、一層深い関連があることとなります。このようにいろいろと読み解きが可能であるということは、この作品が、富士を観察して描いた単なる風景描写ではないということを意味しています。

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冨嶽三十六景「隠田の水車」

Hokusai34 川の手前の近景に水車を、遠景に富士を配置し、一見すると三角と丸(半円)の対立的構図のように見えます。ところが、丸が富士神霊の当体を表現するものという当ブログの立場からすれば、水車を巡る農村風景に富士神霊の世界を発見する趣向の絵であることが判ります。

 粉を挽くために荷物を運ぶ二人の男、水車の水で何かを洗う女達、そして亀を引く童など、全ての者が水車あるいはその水を通して、富士神霊に触れる様を描いていると理解できます。農村の日常生活における水垢離とでもいうべき風景でしょうか。冨士講では富士神霊を日神に見なし、富士浅間神社本宮では火を鎮める水神と見なすと言いますが、いずれにしても、「隠田の水車」の近景は、富士の神霊世界であることに間違いはなさそうです。本シリーズ「深川万年橋下」と比べると、半円(橋・水車)に亀(万年・童の亀)というように、同様の道具を使っています。画中の童は神童で、亀は神亀仕立てなのかも知れません。

 こうして見ると、「隠田の水車」は、農村の風景の中に富士世界を垣間見る趣の作品であって、背後の富士は、北斎によって綿密に観察された富士ではなく、ここが富士世界であることを指し示す記号に近い存在と考えられます。その意味で、このシリーズを富士の風景画と断ずることには躊躇を覚えるのです。

 なお、北斎描くこの場所は、現在の渋谷区原宿辺りと言います。風俗や文化の最先端地域の一つですが、当時も、富士信仰という流行の風俗(?)の題材となった土地柄であったことは、何かの因縁でしょうか。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「尾州不二見原」

Hokusai09  「深川万年橋下」の説明に際して、北斎は、橋を鳥居に見立て富士(神霊)世界を江戸深川の下層に描き上げたと述べましたが、あわせて、日輪に見立てた可能性もあることを指摘しておきました。実は、それは、「尾州不二見原」の解説に繋げていこうと考えていたから、敢えて触れたのです…

 富士信仰においては、富士に登山し、ご来光を仰ぎ見て帰途につくことが重要でした。そのため、富士神霊を日神に同一視しているようにも思われ、たとえば、北斎の『冨嶽百景』の最初の頁にも、木花開耶姫命が右手に日輪を象徴する御神鏡を持って描かれています。したがって、冨嶽シリーズにおける丸(○)は、富士神霊(日神)そのもの、もしくは木花開耶姫命の日輪の御神鏡を表現するものと受け取れるのです。

 美術的解説として、相似する三角の使用は構図を安定させ、三角と丸の使用は両者の対立を際立たせると言われています。そのことは否定しませんが、それによって、浮世絵の面白さや意味は何も説明されるものではありません。そこで、丸や円を使用する浮世絵の絵解きとして、「尾州不二見原」を解説してみましょう。

 冨嶽シリーズでは、近景の庶民生活に視点があるということが出発点です。とすると、近景で桶職人が無心に仕事をしており、その空間が丸く縁取られていることに深い意味があるのです。その空間の中には、富士と職人とが一緒に存在するのですが、それは、この浮世絵を見る者に、富士神霊本体に職人が包まれていると感じさせるのです。庶民生活の中に富士世界が具現化する瞬間を、私たちは北斎によって教えられたのです。これは、まさに、富士信仰の世界を絵にしたものと言えましょう。

 以上に述べたように、丸や円を富士神霊の本体(日神)と理解すると、富士の三角とたとえば桶の丸とは、形象の上では対立する関係かも知れませんが、本質的には、同意義な協働関係にあることがわかります。また、中景に描かれる木立が樽に添って立っています。冨嶽シリーズではこの構図が何度か使用されていて、そこに富士神霊の本体が隠されていることが同時に明らかになっています。

 さて、丸(○)の秘密が読み解けてきた今、これ以後の冨嶽シリーズの読み語りがさらに期待されるではありませんか。(自画自賛)

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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冨嶽三十六景「五百らかん寺さざゐどう」

Hokusai33 深川にあった五百羅漢寺からの富士眺望図です。ただし、当ブログの視点は、富士を見る庶民が主役の構図と理解するものです。幾何学的遠近法に従った隙のない構図で、消失点と画中富士を見ている人々の視点とが重ねられ、そこに富士が描かれるという、人によっては作為が過ぎるとも言われる作品です。

 五百羅漢寺の回廊にいる人々が富士を眺めているということは、その視線が富士と繋がっていることを意味します。それは、本浮世絵を見る人には、画中の人々あるいはその回廊が富士(神霊)世界と通じていると感じられるはずです。画中の人自身を富士の依代として利用し、結果的には、五百羅漢寺が富士神霊の降誕場所となったのです。

 さて、五百羅漢寺は木造三階建ての建物で、上の回廊まで螺旋階段を上り下りする構造をなし、その開けた見晴らしが参詣客の人気を集めていたと言います。その寺への富士神霊の降臨を、富士に相似する三角、鳥居見立て、御柱などを使わず、人々の視線によって実現した点では面白い作品ですが、その分、構図に遊びがないと言われる仕儀になったのでしょうか。腰を下ろす巡礼の夫婦、その背後の柱の上部には鳩の巣らしきものが見えていても、少しばかり、絵組みが決まりすぎているかもしれませんね。

 富士の見える高層の建物は他にも少なからずあったと思います。にもかかわらず、北斎が五百羅漢寺を選択したことには、遊び心があってのことではと思います。つまり、この三層の建物は、「さざゐ」、すなわち、栄螺(さざえ)と呼ばれているということは、意味における富士に相似する三角であり、土ではなくて木造の富士塚と考えられるのではないでしょうか。螺旋階段を上って最上の回廊に向かう行為は、富士登山、富士塚を登る行為と同じなのです。

 五百羅漢寺という宗教施設を、富士信仰の依代、富士塚に再利用するという手法は、「登戸浦」において、登渡神社の鳥居を富士の鳥居に見立てた手法と同様の考案です。このような理解からすれば、当該作品も、作為的構図を越えて、相当の遊びがあるのではと思います。いかがでしょうか。ともかく、五百羅漢寺には、女、子供も行くことのできる、富士登山体験の場があったことは間違いなさそうです。 

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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