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シカ注意!

 十月上旬の頃、息子が友人と車で自宅に帰って来る途中、町の病院の前で二頭のシカに出会ったと報告してくれました。咄嗟にヤギの間違えでないのかと返事をしたのですが、「あの角は、絶対にシカだ」と言っておりました。昨年は、なにぶんにも自宅の隣に熊が出没したので、それもあるだろうなと思いました。

 新潟(上越)から長野まで北国街道という有名な街道があります。かって、上杉謙信が川中島まで移動した街道ですが、その長野市に入る手前(飯綱町)に、「熊注意!」という看板が出ています。昨年のことがあるので、この看板には、とくに驚かなくなりました。慣れとは恐ろしいものですね。

 さて、それから一週間くらい経った頃、仕事で上信越自動車道を北から南に走っていました。そして、長野インター近くを走行していたところ、なんと高速道路の電光掲示板に「シカ注意」と表示されているのです。こんな高架上の道路にシカが走っているのでしょうか?その時確信したのですが、やはり、息子が見たシカは本物のようです。北海道には熊しか走っていない高速道路があるという話ですが、長野県では、シカが走っているらしいです。

 伊那、駒ヶ根、飯田あたりの長野県南部まで行くと、サルの看板がでていますし、タヌキ、キツネは当たり前に見かけますので、信州の高速道路は、野生王国あるいはサファリパーク内を走っている道路と同じようなものです。そして、数日前、今度はイノシシ二頭が長野市北部の市内を疾走していたというニュースが報道されました。信州は、動物王国だ!

 高速道路料金の値下げが話題になっていますが、クマ、シカ、イノシシ、サル、タヌキ、キツネ、ウサギなど信州の野生動物一行が、東京など都市部に徒党を組んで走っていく、そんな姿を想像すると滑稽です。しかも、意外にも、獣道の整備を陳情に行っているのかもしれません…。

 今月は、生活の中で、野生動物の存在を身近に感じる月でした。

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竹篦太郎(3)

 ジェイムス夫人が訳出した縮緬本『竹篦太郎』では、人身御供を強要する妖神(怪猫)を退治するために奔走するのは、若い勇者です。そして、勇敢な犬・竹篦太郎は、その勇者が近在の首領から一夜借りてきたとあります。日本書紀に記述される足往(あゆき)を原形にする物語です。この物語の背後にあるのは、大和朝廷と各地方勢力との攻防の歴史ではないかと思われますが、光前寺縁起の場合には、若者は旅の僧に、竹篦(早)太郎の所有者は光前寺に特定され、仏教的説話に再構成されています。

 見付天神の老狒狒の有様がまるで雷鳴や落雷を彷彿とさせるのは、(見付)天神がはじめ祟りの「雷神」であったことが影響しているように思われます。他方、竹篦(早)太郎が疾風と同義だとすると、こちらは風の神、つまり「風神」ということになります。両者の闘いは、雷神と風神の闘いとなり、山は嵐です。そして、結果は風神が雷神を地に叩き落とし勝利しますが、風神は光前寺からの使いですので、これは光前寺、つまり仏教側の勝利を意味します。

Saigoku6  竹篦太郎伝説を骨格とする光前寺縁起をもっとよく理解するために、ここで、仏教の力(御利益)で雷神を退散させた説話を紹介しておきます。それは、『観音霊験記 西国順礼第六番 大和壺坂寺』に関する、「神取栖軽」の話です。すなわち、風雨雷電激しい折、雄略天皇より「雷神を捕り来るべし」と命ぜられた小兵部栖軽が、壺阪寺の方に向かって普門品を時念すると、寺より異光がはためき、さしもの雷も地に落ち、栖軽はそれを生け捕りして王宮に献じたというものです。この所以によって、「神取栖軽」と呼ばれるようになったといいます。

 大和壺坂寺から異光がはためき雷神が地に落ちたという、観音の御利益を謳うものですが、光前寺はまた「光苔」で有名なお寺でもあり、「光」にゆかりがあるのです。見付天神(雷神)を押さえるには、異光を放つ光前寺でなければならないことがよくわかります。

 光前寺と見付天神とは、天竜川を介して北と南に位置し、犬と猿、風神と雷神、異光(光苔)と雷光といった具合に対立関係があり、光前寺が見付天神に結界を張っているような感があります。竹篦太郎伝説を読み解くつもりが、地域のこんな歴史的関係性をも浮かび上がらせてしまったようです。

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竹篦太郎(2)

 日本で最初と思われる犬の話としては、「日本書紀」の垂仁紀に「あゆき」という犬が登場します。簡訳すれば、「昔、丹波国の桑田村に名を甕襲(みかそ)という人がおり、その甕襲の家に足往(あゆき)という名の犬がいた。この犬が山のむじなを食い殺したところ、獣の腹に八尺瓊(やさかに)の勾玉(まがたま)があった。」ということで、甕襲が、三種の神器ともなった八尺瓊勾玉を献上した件を語っています。竹篦太郎伝説では、光前寺縁起を別として、登場する犬は「丹波の犬」とされることが多いのですが、これは、たぶんこの「あゆき」の話が原形になっているからだと思われます。

F172 次ぎに、縮緬本に採用された「竹箆」(Schippei)という言葉に注目してみます。これは、たけべらの意ですが、とくに、禅で用いる竹製の棒、瞑想する者の気のゆるみを戒め、気合いを入れるために肩を打ち、師家が学人を指導する際に用いる法具のことです。長さはほぼ、70cm~1mほどで、割竹を弓形に曲げて藤を巻き漆を塗って作られるそうです。つまり、犬の名が竹篦太郎とされた時点で、仏教的視点で話が再構成されたことを示唆しています。

 では、光前寺縁起を例にとって、神話的視点と仏教的視点の両方から、この話を分析してみましょう。

 「天地鳴動(地ひびき)して怪神が現われ」、もしくは「山内鳴動(山の方で地ひびき)して、妖怪が現われ」、「両者の格闘の響き声がものすごく聞こえ」、そして「長い格闘の末、静かになり」(見付天神HP参照)と記述されています。怪神の正体は年経た狒々とされていますが、この登場の描写は、山に轟く雷鳴と落雷と考えられないでしょか?何よりも、見付天神は元々は雷神です。とすれば、見付天神の人身御供の習俗も、雷神の怒りを鎮めるための行為ということになります。雷神が怒ると山が荒れ、その結果は大雨・洪水、あるいは日照りなど天候の乱れを生みます。人身御供も、洪水等を鎮めるための人柱かもしれません。なぜならば、見付は、暴れ川天竜川流域にあるからです。

 ここに旅の僧侶もしくは修行僧(雲水)が現れ、光前寺から犬を借りてきて、雷神たる狒狒を退治するのですが、従来の人身御供という神を慰撫するという方法ではなく、仏法の力で雷神を退散させる新しい方法を実践し、そして成功するのです。(実際には、仏教に伴う治水技術の指導などが洪水を防いだのかもしれませんが。)その仏法の象徴が、天台宗光前寺の早太郎であり、仏法具の竹篦の名を有する犬なのです。ちなみに、光前寺のある信州駒ヶ根は、見付からはまさに天竜川北方上流に当たります。

 古来の日本神話をベースとする話に、後に、仏教側が布教のため仏法優位の論理を組み入れたのが竹篦太郎伝説であり、そして、その一つの応用編が光前寺縁起と読み解いてみました。もちろん、光前寺縁起の背景には、天竜川(洪水)で直接繋がる駒ヶ根と見付(磐田地方)との密接な関係があることは言うまでもありません。というわけで、村人はこれら一連の行為に感謝するとともに、光前寺に大般若経六百巻を書き写して、お礼に奉納するということになります。

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竹篦太郎(1)

 信州駒ヶ根にある天台宗のお寺・光前寺縁起は大変興味深いものです。光前寺のHPには、『霊犬早太郎の伝説』として紹介されています。遠州見付において、老狒狒が神に化けて、毎年、人身御供を強要し、村人を苦しめていたのですが、旅の僧侶が光前寺で飼われていた山犬を借り、老狒狒と戦わせ、ついには退治します。そして、その山犬の名が「早太郎」というのだそうです。これによって、人身御供の風習がなくなり、感謝した村人は、大般若経を写経して光前寺に奉納し、それが今日まで伝わる光前寺の寺宝になっているという縁起となります。

 一方、遠州見付で行われていた人身御供の風習は、見付天神(矢奈比売神社)の裸祭りとして形を変えて残っており、見付天神のHPによると、昔は泣き祭りと言ったそうです。話の流れは、光前寺縁起と同様、ある雲水の知恵で、光前寺から犬を借り受け、その犬が見付天神に潜む狒狒を噛み殺し、退治します。そこで、村人は感謝し、大般若経六百巻を書き写し、光前寺に奉納することになります。

 山犬と山猿との闘い、猿神伝説の一系譜と思われます。ところで、見付を含む磐田地方では、犬の名を「悉平太郎」と呼んでいます。違いがあるようですが、早い→風のように早い→疾風(しっぷう)→悉平、竹篦(しっぺい)と考えれば、同一と考えてよいでしょう。

 今日、地元の人々は地域の話と考えているようですが、広く、全国に分布する昔話で、南アルプスを挟んで光前寺の反対側の岐阜県、また青森、秋田、山形など東北地方にも広がっており、江戸時代には、歌舞伎『竹篦太郎怪談記』などとして上演もされています。

F171  ところで、左の写真は、縮緬(チリメン)本『日本昔噺シリーズ』(Japanese Fairy Tale Series)の第17号「竹箆太郎」(Schippeitaro)の表紙です。見るとおり、棺の中の犬の周りを怪猫達が踊っています(裸祭りの原形)。犬と猫の闘いという形になっており、光前寺縁起とは異なっています。縮緬本(第17号)の訳者ジェームス夫人も、全国各地に同様な話があり、その代表的な話の流れを紹介した旨のこと述べていますし、東北の竹篦太郎伝説では怪猫と闘う話のようですから、このような表紙もありえましょう。ただし、欧米人を対象にした縮緬本の性格からすれば、魔女や悪魔の変身した怪猫の方がより親しみがあることが推測されます。国柄でしょうね。

 先の縮緬本では、日本語の題名『竹箆太郎』、英語では“Schippeitaro”となっていますが、どのような経緯からこの題名が選ばれたのでしょうか?次回は、この題名から、物語の成立経過を推理してみます。

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